私のプロフィールに欠かせないキーワードは、SEつまりシステムエンジニアです。
仕事の楽しさを知ったのも、
仕事の厳しさを知ったのも、
15年に亘るうつ病との付き合いが始まったのも、
“現実変換”を成し遂げたのも、
全て私がシステムエンジニアを経験したからでした。
私がコンピューター業界に進んだのは、その当時の最先端を行く職業だったからです。
お金を貰って最先端の技術を習得出来る、こんなに美味しい話は無いと思いました。
最初はオペレーターとしてコンピューターに関わり始めました。
日次バッチ処理を起動したり(まだオンライン処理はありませんでした)、テープを掛け換えたり、JCLを組んだり、単純な仕事でしたがコンピューターの基礎を学ぶことが出来ました。
その後プログラマーになり、COBOLを使用して事務処理系のプログラムを作っていました。
自分が組んだプログラムが動いて、帳票が印刷されたり画面が表示されたりした時の嬉しさは今でも鮮明に覚えています。
プログラムを組むのが単純に面白かった、そんな時期です。
その後、バブル絶頂期にシステムエンジニアとなりました。コンピューターも随分と社会に浸透し(まだパソコンは登場してませんが)、社会の好景気と共に企業も本腰を入れてコンピューターシステムを構築し始めた頃でした。
私の設計するシステムは、汎用機を使用しての企業の業務システムで、その中でも販売管理や購買管理や物流管理を担当者しました。
プログラムやシステムを設計する為には、対象となる業務を知らなければなりません。そして、そこにどんな課題があるのか、それにはどんな解決策があるのかというコンサルタント的な能力も必要です。
また、それを意思決定者に伝えるプレゼン能力も必要です。
プロジェクトを円滑に進めるマネジメント力も必要です。
勿論、常に最新技術への追随も必要です。
私は、当時日本でも2、3例しか導入実積が無い、ドイツのSAP社のR/3というパッケージソフトを使用した大規模プロジェクトに参画しましたが、そのコンセプトに衝撃を受けた覚えがあります。
このように、システムエンジニアという職業を選んだお陰で、多くの最新技術、最新の方法論、最新の技法、様々な能力を勉強することが出来ました。
自分は成長している、そう実感出来る時期でもありました。
その一方、システムエンジニアとして求められるものも年々厳しくなってきました。
安定性・可用性・汎用性はもとより、開発期間はどんどん短くなり、コスト重視は強まり、技術は日進月歩どころか秒進分歩くらいのスピードで更新されて行きます。
プロジェクトメンバー一人一人の仕事量は増えるいっぽうで、それぞれに掛かるプレッシャーも強くなっていきました。
初めの頃は単純に楽しかった、嬉しかった、成長を感じられていたコンピューターの仕事でしたが、いつの間にか、淡々とこなす“作業”となっていました。
次々と舞い込む仕様変更に対しても、何故そうなるのかとか、他にどう関連していくのか等と考えることなく、淡々と自分の範囲だけをこなす、そんな感じです。
いつからそうなったのか?
何故そうなったのか?
当時は、そんなことを考える余裕はありませんでした。
とにかく忙しくて、月の残業時間が100~200時間というのもザラにあって、それが当たり前だと思っていました。
『システムエンジニア35才定年説』なんて言われていました。
そんな生活が何年も続き、私は42才の時に“うつ病”と診断されました。
それから15年間、うつ病と共に過ごす人生が始まりました。
システムエンジニアやプログラマー等、コンピューターシステムに携わる人々は、IT化やデジタル化の加速に伴い今後益々増えていくでしょう。そして益々求められるものも大きくなっていくでしょう。
当然、各々の技術者に対するプレッシャーも大きくなっていくと思いますし、労働環境も厳しくなると思います。
コンピューター技術者特有の苦労や悩みも増えてゆくでしょう。
私なら、23才から50才までコンピューター業界に携わった私なら分かります。
オペレーターからプログラマー、システムエンジニアまで経験した私なら分かります。
目に見えないものを相手にする不安。
100%完璧に動いて当たり前の世界。
そんな中で不安を感じている人
何かモヤモヤしている人
うまく言えないけど誰かに話を聞いて欲しい人
システムのことも分かって、心のことも分かっている私に話してみませんか。
日本に心理カウンセラーは星の数ほどいますが、システムエンジニア等、コンピューター技術者専門の心理カウンセラーは殆どいません。ましてや、30年近く現場を経験した心理カウンセラーは稀有でしょう。
システムエンジニア・プログラマー等、コンピューター技術者で今が辛い人、不安を感じている人、何かモヤモヤしている人、是非私とお話ししませんか😉