きっかけはとある人からの言葉。
「相手の気持ちを考えて話した方がいいよ」
昔から言われてきた言葉だったが、知り合ってから1年も経っていない人かつ会うのは月に1回のその人の一言は私の心に強く刺さった。正直なところ、そこまで私のことを詳しく知らないだろうと思っていた人にまで伝わるくらい私はひどいんだと痛感した。
今までに言われてきた時も別に気にしなかった訳ではなくて、仲が良い人から指摘されていたから、そもそもある程度は何を言っても大丈夫な関係性の下、そう感じる発言をしてしまう私がいるのだろうと思っていた。確かに物事をストレートに伝える気質ではあるし、変わっている自覚もあるし、他人に興味はない。他者とのコミュニケーションを難しく感じる時もあるが少ないながらも友達もいる。ただ基本的には好かれるか嫌われるかの両極端だったので、嫌われる場合は相性が悪いのだと思っていた。もちろんなるべく不快にならないように言葉を変えて話す時もあれば、気を遣って話す時もある。しかし気を遣えば遣うほど、中身のない薄っぺらい会話になり、自分の思ってもいないことを発言することにストレスを感じる上、相手からも話していてつまらないというレッテルを貼られる。ここ数年はストレスを感じながら気を遣って話しても嫌われるなら話したいことを話して嫌われる方がマシじゃないか、というマインドになっていたのも事実だ。
マインドが変わってからも「相手の気持ちを考える」ことがどうやったらできるのかについては定期的に調べていた。よく言われるのが「相手の立場に自分が立ったらどう思うか考えろ」だ。これを実践したこともあるが、そもそも物事の捉え方が違いすぎて私の考えた結果が相手の思いとマッチしない。そもそも私が常日頃感じている心境はおそらくマイノリティなのかもしれない。
例えば正論論破型の人間に正論を言われて不快な気持ちをした人から愚痴をきいたとして、正論論破型の正論だから言ってもいいと思う気持ちもわかるし、痛いところを疲れて不快になる気持ちもわからなくはないが、そもそも自分が事実を言われて不快になるようであればそうなるような言動をしなければいいと私は思ってしまう。この場合は気持ちはわからなくないけど、論理的思考が勝ってしまうケースである。このケースの場合は大概「んー、その気持ちもわかるけど、そうならないようにしなかったのも悪いしね。でも気持ちはめっちゃわかるし、できない時もあるよね。」というなんともヘタクソなフォローを入れながら自分の意見を含めつつ上から目線の言い方になってしまい嫌われるのである。このパターンの時はきっと自分の意見を言わず、共感できた部分だけをピックアップして言うのがいいのだろう。実際に共感はしてる訳だし、嘘をつくこともないからストレスもない。ただ、「うんうん、その気持ちわかる」と返事するだけでは話が広がらないのだ。女コミュニティでは共感しておけばいいという意見も見かけるが、実際には男女関係なく共感するだけではつまらない判定をされるのが現実だ。共感+一言が必要で、この一言が「相手の立場に立って考えた結果」なのだろうが、それがわからないから余計な一言を言うか、一生相槌を打つかという二択しかとれないのだ。ちなみにこの愚痴を言っている人の立場に私が立った時、相手からなんて言ってほしいかというと「言ってほしい言葉は特にない」逆を返せば「言ってほしい言葉はないが言われたくない言葉がある」だ。私は私のような返答をされても不快にはならないし、話を続けられる。そう、私は私が言われて嫌な言葉はなるべく言わないようにしているのだ。だから私は自分が言われた時の立場を考えていない訳ではなし、相手の気持ちも否定していないと思い込んでいる。これがきっと違うんだと思うけど。この時はなんていうのが正解で自分の気持ちも偽らなくて済むのだろうか。
一方で本当に相手の気持ちがわからない時もある。
例えば「音楽聴くと癒されるよね」とか「〇〇っていう芸人さん面白いよね」とか論理で考えられないものが顕著だ。私は音楽は癒しのために聞くものではなく(歌無しの曲を除く)、いかに歌が上手いかと歌詞に共感ができるかで捉えている。だから癒される人の気持ちは理解ができない。芸人さんの例えではそもそも芸人さんに興味がないから大概知らない話題である。理解ができない、興味がないからと言って否定をすることはないが、「私は癒されるというよりは歌詞と歌のうまさを気にして聴いてる」や、「ごめん、その芸人さん知らない」という回答になり相手の話の腰を折ってしまう。知らないということを伝えない時もあるが、大概相手が少し話した後に「知ってる??」と聞かれて先述した流れに戻る時もある。さらには知ってるフリをする時もあるがこれまたもちろんうまくいかない。結果「私は違う」や「知らない」というのが1番なのだと思うが、その後のプラスαの一言が興味がないため出てこない。私がその人の立場なら知らないことは知らないと言われた方がいいし、知らないと言われてもつまらなさそうにしていなければ話すし、そうでもなければ違う話題に変える。だからなんと返答されても困らないし、むかつかないのだ。話したい内容は別の人に話せばいいし、とも思っている。例えば「〇〇って芸人嫌いなんだよね、なにも面白くないし」と言われたとしても私はそう捉える人もいるよなって考えて不快にはならない。ただ好みが違うんだな、これからこの人にはこの話題話すのやめよう、で終わってしまう。だからプラスαの一言なんて私は言われたいとも思ってないのだ。聞きたいならプラスαしてくれればいいと思っている。興味がなくても質問しろという記事があったから実践したこともあるが、それこそ薄っぺらい会話で疲れて終わる。まじで無理ゲー。
ちなみに余談だが、私が1番嫌いなタイプは話を持っていく人だ。話を持って行かれても会話のキャッチボールができれば問題はないが、会話を持っていって私の興味のない話を永遠にする人がとても嫌いだ。私がもともと聞く専よりも話し専だという側面もあると思うけど。あとはひたすら上から目線の人。ずっと知識自慢をし続けるようなタイプも嫌いだ。嫌いだけど私も同じタイプだったりする。
話を戻して、先ほどのは相手が話し手であるパターンだが、自分から話すパターンのときも「相手の気持ちを考えなければならない」。個人的にはこっちの方が聞き手で気を使うよりも何倍も難しいと思う。自分が話し手であるということは自分の興味のある話題を話したり、話したいことを話すのが一般的だが、話したい内容なのに「相手の気持ちを考える」とはなんなのか。究極、自分から話す場合で「相手の気持ちを考える」場合は当たり障りのない質問をしたり、これまでの相手の情報から興味がありそうな話題を質問し続ければいい。ただ、これでは会話を楽しむというよりは会話をやり過ごす方法だと思う。会話を楽しみながら「相手の気持ちを考える」のはやはり究極のコミュ力であると思う。私の場合は好き嫌いが分かれる趣味のことは話さないようにして、出来事や考え方や季節性の話題や経験の話しが多い。ただし、出来事へ捉え方や考え方がマイノリティであるようで、大体は「すごいね、そんなこと考えもしなかった」等、目線が違ったり環境が違ったりして噛み合わないのだ。人によっては私の話が自慢に聞こえることもあるようで(もちろん私も相手の話が自慢に聞こえる時がある)、どこまでは自慢にならないのか、どういう話方をすれば自慢にならないのか常にボーダーラインを探すように気をつけているが、気をつけすぎると何までは話していいのか境目がわからなくなって無言になってしまう。特に仲良くない人も含めた大人数の飲み会では無言になりがちだ。今書いていて思ったけど、私は相手の気持ちを考えているのではなくて、相手の考え方を考えているのかもしれない。私はきっと会話の中で討論をしたいのだ。共感や羨望ではなく相手の意見や考えを聞きたいのだ。私は会話に対して気持ちのやりとりというよりかは意見交換を求めているのかもしれない。馬鹿騒ぎも苦手なタイプだ、なにも面白さがわからないしノレない。
まてよ、つまり会話の趣旨が気持ちのやりとりなのか考えのやりとりなのかによって、スイッチを変えるべきなのかもしれない。馬鹿騒ぎスイッチ、共感系スイッチ、討論系スイッチ。他にもたくさんのスイッチがあって私も部分的には使い分けしているのだろうが、切り替えが下手なのだろうか。私が討論系スイッチオンで話したところで相手は共感系スイッチかもしれない。話しているスタンスが違えばいくら「相手の気持ちを考えた」ところで噛み合わないに違いない。いや、でもお互い討論スイッチでも相手の気持ちがわからないぞ…。
一旦はこの辺りでやめておこう。
「相手の気持ちを理解する」までの道のりは遠そうだ。
