訪ねてくださり

   ありがとうございます。

 

10年前の3月11日

 

宮崎では、もちろん揺れは全く感じませんでした。

 

ある会場に向かって車を運転していたとき、地震のことを知りました。

 

会場に到着するとすぐにロビーのテレビの前に走りました。

 

想像以上の被害の映像が目に飛び込んできて、しばらく現実のこととして受け止められずその場に立ちすくんでいたことを覚えています。

 

その時の映像があまりに強烈で、今も海岸線を運転しているときはいつも、ここだとこの道よりあっちの道の方が安全だとか、車の通りが少ないのはこの道だとか、大きな地震が来たらどう逃げるかシミュレーションをしながら運転するようになりました。

 

「復興オリンピック」と銘打って招致活動が行われていた五輪だったのに、今では「ウイルスに人類が打ち勝ったことを証明するためのオリンピック」と言われているのをよく耳にします。

 

地震は東北はどこへ行ってしまったのでしょう?

 

まだ避難生活を続けていらっしゃる方々は、今も3月11日が続いているのだと思うと胸が痛みます。

 

イレーネさんがライタリアンの一斉ヒーリングを呼びかけてくださいました。

 

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亡くなられた方、愛しい人を亡くされた方、心に傷をおわれた方、故郷に帰れない方、変わってしまった街並み、人が住めなくなった町、

 

阪神淡路大震災 熊本地震 大水害・・・ 自然災害が多い国日本へ

 

癒しの光を送らせていただきます。