大地町は イルカ追い込み漁を 文化だ、ということで行なっていますが、


大地町の見解がホームページで見られますが
皆様はどう思いますか。









下の4行、引用します。

そういう動物園や水族館きら現にイルカの生体に対する需要があります。その需要がある限り、漁民の人々がこれに応えようとすることを非難したり、やめさせたりすることは到底できません。

とあります。


その需要、というのは、

「白いイルカ、可愛い〜!」のことでしょうか。


「イルカのジャンプすごいなー!」のことでしょうか。


とにかく、イルカを見に行きたいという人がいる限り、私たちはイルカを捕獲します、ということらしいです。


逆に言えば、誰も観に来なくなるなら、捕らない、ということです。





イルカと同じく、牛や豚にも知性があります。

牛豚も食べてるんだからイルカも食べる、という理由だそうです。


私はどの動物を食べるのも反対ですが、

この論法で語るなら、

犬も猿も食べて良いはずだ、

どんな動物も食べて良いのだから、ということになります。


イヌの肉を食べたい!という客が居るから、殺して料理してるんだ、何が悪いんだ、

というのと同じですね。


イルカを食べたいという客は、

一体どういう理由でイルカを食べるのでしょうか。


生きるためでは無いのです。

ただ、興味があるだけ。どんな味なのか食べてみたい。珍しいから。せっかく来たから。

そんなところでしょうか。


イルカを食べないと死んでしまう病気などあるはずもなく、

生存のためでは無く、趣味、遊びのために肉にされているのです。


これを家畜の牛豚と、同様に語るのは、実はとても愚かな論法者です。なるほど、と騙されてはいけません。




牛豚は食べるのになぜイルカはダメなんだ、
魚、野菜だって痛みを感じている、 手を合わせて感謝して食べれば良い、

そういう答えが必ず出ます。

こういう意見の人は、この問題について知識がほとんど無く、情報にも疎く、最新の情報を知らないことがほとんどで、(話が噛み合わず)話にならないことが多いのですが、

わかりやすい説明として、
それならばあなたは犬猫を食べるのも賛成ですか、と聞きます。

韓国、中国、ベトナム、アジアの国の中には、犬猫を食べる習慣があり、それを文化だと言う主張は多いですが、それには賛成ですか?、と聞きます。






珍しいアルビノの白いイルカは捕獲され、家族は無残に殺されました。


「白いイルカ、かわいいー」と、
目の前のものだけ見て判断してしまう消費者、無知な客がたくさんいれば、お金になるからまたイルカは捕獲されます。





拉致され、北朝鮮に連れて行かれた
横田めぐみさん。

家族から拉致され、見せ物にされる、

拉致被害者とその家族のことが、すぐに連想されました。

国家のためには他国の人の人権なんてどうでも良いのでしょうか。

研究のためには、仕方ないのでしょうか。


イルカは言葉を使って、家族や他の群れと会話し、人間とも友好に交わることがあります。
とても優しく、穏やかな動物です。



双子の弟に優しく、父母に優しい横田めぐみさんが、研究のために、無理矢理袋に入れられて、
「助けて!!」と手の爪が全部剥がれそうなほど血だらけで壁を開けようとした、

横田めぐみさんの話は、

↓で詳しく見ることができます。









家族と楽しく海で過ごしていたイルカ、

横田めぐみさんとどこがちがうのでしょうか。


誰かの研究のためには、その命の尊厳は無視され、拉致されても構わないのでしょうか。


和歌山県の見解は、自分たちを正当化する結論に向かうために書かれており、
今の時代にそぐわないと考えます。


知識を持って、

見に行かない

食べない、

そうすることで儲からなくなれば

「文化」と主張していた人たちは「経済的」な理由により、拉致、殺戮を止めるでしょう。

こういうものは全て、文化では無く、

ただ単に、
今更違う仕事したくない、
イルカを殺戮、とるのは楽しい、

そういう人々の都合のいい言い訳が「文化」へのすり替えです。

文化だから、と、悲鳴を上げた、口を開いた犬の丸焼きは、
普通のまともな日本人は、嫌悪しますし、食べません。

文化だから何でも良い、訳がありません。


悪しき文化は、文化であろうとも地球のためにやめるべきです。
今は、一つの地域、国、の価値観で、やって良いことはほとんどありません。

世界規模で正しいかどうかを判断することが求められています。

これでもまだ、あなたは
イルカショーに行きますか?