二回目の3.11

仙台にいることができた。
ばあちゃんの三回忌、じいちゃんの十七回忌のおかげ。

14:46に市民広場で献花できて、
感謝感謝。


ばあちゃん、ありがとう。

あれから一年がたちました。


あの、怖くて悲しい日から一年。



色々なことが思い出される。

辛すぎる現実。


ただただ・・・黙祷



地震が来るまで、結構マメにブログを書いてた。


地震が来て、それからは、ツイッターやFBに移行していた。


久しぶりに、ブログを読み返した。


飾らない、本心の独り言があった。


だから、たまに書いてみよう。本心。独り言。



もうすぐ、祖母の命日だ。

3・10


祖母が亡くなったと聞いたとき、後輩と飲んでいた。

恥ずかしい位に、後輩の前で泣いた。

涙が止まらなかった。


翌日、最低限の仕事をこなし、イベントに出れなくなったことをみんなに挨拶していたら、

あの地震が来た。


あんなに大きい地震なのに、東京が震源ではない。

まさか・・・の震源地が地元。

TVの中では、予想もしないことが起きていた。

津波に飲み込まれる人が、車が、映し出されてた。

聞こえるわけもないのに、『逃げて~早く!!!!!』といった。

聞こえないよね。どんどん流されていった。


親に、兄弟に、親戚に。

携帯にも、家にも電話をかけた。

つながらない。


本当に心配で心配でたまらなかった。


時間がたって、やっと皆と連絡が取れた。

新幹線に乗っていた従弟も無事だった。


でも、やはり地元は電話がつながらない時が多く、なかなかメールも届かなかった。

PCの充電が残っている間は、従妹とツイッターで連絡を取った。

携帯の充電無くなりそうで、危ないようだった。

従弟も、福島辺りで避難所にいたが、これも、充電が無くなる恐怖と戦っていた。


何人にも連絡している余裕がないので、従弟と親戚家族の連絡係になった。

ツイッターのDMは大活躍だった。


無事に39時間後従弟は家に着いた。

迎えの車も来ない、そんな中で、寒さと怒り、不安に震えた従弟は、実家に帰り、

相当きれたそうだ(笑)




暫くして、祖母が昨日亡くなっていて、良かったと思った。

92年も生きて、あんな地震で怖い思いをして欲しくなかったし、

もしも、あの地震が原因でなくなっていたら、悔しくてたまらない。

だから、そう思った。



その時から、いてもたってもいられなくなった。


とにかく、火葬される前の、おばあちゃんのままのおばあちゃんに会いたかった。

どうしても、それだけがしたかった。

でも、新幹線も、バスも、どれもこれも・・・手段がなかった。


忌引きと、土日だったので、家にいた。


余震も多く、不安だった。

どうしたらいいのかわからなかった。


友人の家に誘ってもらったりしたが、外に出るのが怖かった。

電車にも、乗りたくなかった。

家で、TVを観て情報収集していた。


ツイッターで、つぶやいたり、友人と励まし合ったりしていた。

みんな不安だから、つながっていることで安心していた。


そんな時地元が一緒の姉的友人から電話

『1人なの?』『実家大丈夫だった?』『なんでそんなに地元に帰りたいの?』と聞かれた。


『おばあちゃんが前の日に亡くなったんだ』と伝えた。


『え!?』と驚いた後、『明日夜に車で行こうと話してるから、そんとき一緒に行こう』と言ってくれた。

本当に、本当に、嬉しくて嬉しくて、泣いた。つながっていることに感謝した。


随分会っていない、昔からの友人からも電話が来た。

『帰るなら車だすよ』『友人も行ってくれるから行こうよ』と言ってくれた。


不安の中、人の温かさを感じた。感謝した。


そうして、地震から三日目の夜、物資を積んだマイクロで仙台へ向かった。


2012がやってきました。


色々あった2011、本当に色々考えました。


今年は、ますます頑張らなければ。


良い一年になりますように。

今度は水害・・・


今日は、東京も大変だった。

どうしても振替できない仕事で、終わったのが19:30
電車も動いたし、大丈夫!!なんて思ったのが大間違い。


駅でエスカレーターに乗ったら、なんと!!!!降りてもいる場所がない位の混み様・・・色々なところから罵倒する声等が聞こえてくる。


【これは危ない!!】と会社にGO!

仕事を再開し、一時間半。再度TRY!

今度はスムーズに電車に乗れたっ。と思ったのもつかの間、
なんと、二つ目の駅でSTOP。ここで30分停止。

いつもは15分の電車が、1時間(^_^;)つらいつらい帰宅でした。


帰り道、もう星空☆ほっとした。


でも、家に帰ってTVをつけると、東北の被害情報。

仮設住宅の避難指示と勧告。

いったい・・・どうしろというんだろう。

避難所から仮設へ移り、少しだけ落ち着いたりしてるのに。


将来や、仕事、金銭の不安と闘いながら頑張っているのに。


【神様はいるの?】とつぶやいている人の言葉をみて、涙した。

これ以上どうしろというのだろう。

いつになったら、安心した生活ができるのだろう。


明日、いつもの南三陸の仮設の人に電話してみよう。
保育所の所長さんにも電話してみよう。


皆さんが元気でいてくれるといいな。