2020年世界にコロナが降ってきた。
まさかの、世界が変わる。

自粛を始めて、早くももう1か月が過ぎた。
そうして、いまだゴールは見えない。

起きて、ストレッチして、やる事をすませて、ヨーグルトを食べて、何かしている間に夕方になって、お風呂入って、ご飯作って、食べて、SNSして、たまにはリモート飲みして、寝る。そんな繰り返し。

一週間目に不安になり、何かやらねばと、編集を覚え、二週間目に吹っ切れ、三週間目に自分の味に飽きw四週間目には、すべてに慣れたww

友達には会いたいけれど、それ以外、外に行きたい!と、思うこともあまりないかも。
ベランダで過ごす時間があるから、助かる。
この家に住んでてよかったーと、毎日思う。

これから、多分今月いっぱいはこんな生活が続くのだろう。

絵の練習、英語、編集、何かしら楽しもう。

おやすみ

1年ぶり。でも、何かあるとここに帰ってくるんだね。

 

令和にこんなことが起こるなんて・・・まったく想像してなかった。(そりゃそうか)

 

忘れないようにちゃんと書いておこうと思った。今日。(本当は今日じゃないんだけど、今日になっちゃったw)

 

1月にコロナという存在を知って、なんとなく他人事で。そうして、2月には扁桃腺が腫れて、咳が止まらなくて。でも、もしかしてコロナ???なんて思わないくらい他人事。その後仕事で北海道に行って、帰ってきて2.3日後に北海道が大変なことになっていて・・・え?と思っている間に、遠かったものが近づいてきて、そうして、大事な人の、大事なイベントが中止になって、びっくりするくらい悲しくて、そこにちょっとした感情を置き忘れたくらい。

そこからは、あれよあれよというまに悪化の一途をたどる。

 

3月頭。あまり大々的なことは避けよう。

再び3月頭。大人数で大騒ぎはまずいから、友達の家か、友達の別荘の温泉でも行こうと話してた。

2週目には、髪を切りに行き、なんか大変なことになったねーーーなんて話して、ちょっと電車も怖いから歩いて1時間くらいの場所に行ってた。

3週目、知人が癌でお店を閉めるから、3/10までにきて欲しいと随分前から言われていたので、悩んだ末、京都へ。

【咽頭がんだから、もう話すのも最後かもと言われていたので、どうしても会いたかった】

新幹線もガラガラだったけど、まだ今ほどの緊張感はなかったかな。

その週末は、食事と、サシ飲み。

4週目、友達の家でランチと、もう一件サシ飲み。そうして、週末に友人宅に行ってから、ガラッと見えるものが変わった。友達の旦那様が、海外から帰ってきて、おかえり会だったんだけど、ここからの世界が変わるって話をしてて、色々覚悟しないとと。なんとなくふんわり思っていたことが、現実になるんだということを初めて人と答え合せして、あ!大変なことになるんだね、と実感。

その週末、自分の食べれるもので長持ちするものを揃えた。(インスタントが苦手で・・・汗)

5週目、YouTubeの撮影で、桜の始めた神社巡り、友人宅で餃子会、そうして、これがこの緊迫した現状になる最後のお店ご飯なんだけど、3/26マッサージの後、西麻布のレストランで食事。その最中に、週末外出自粛令がでる。その夜から、スーパーは大パニック。NYから帰ってきた友人にもあって、色々情報シェア。(あ、やはり大変なことがおきるんだと思った。)そうして、勝手にロックダウンを決めた。友人宅のご飯も中止。

3/29世の中もは志村けんさんが亡くなって、一気に緊張感。

そのあとは、当時調子が悪すぎた体のメンテ、と3/31友人宅に一回ご飯に行った。(この時もまだ、また2.3人でご飯しようねと話してたくらい)

 

4月になって、全く何も行動しない政府に呆れて、どんどんどんどん自粛のムードが高まった。

でも、仕事がなくならない限り会社に行かなければならない人。仕事行くの怖いという友人。大人数の場所で働く人たち。満員電車の情報。どんどんどんどん怖くなっていった。

収入とか、もちろん心配だけど、命がなくなることが一番怖い。だから、何も考えず、ただただ家にいようと思った。家しか安心できる場所がない。

そうして、目の前のコンビニの店員さん・・・感染。

一気に現実が近づいた。恐怖でしかなかった。幸い勤務表と、自分のaupayを確認したら、直接あってないので、少し安心(でも恐怖)もう・・・外に出るのは・・・リスク。

世の中では買い占めという文字も踊っていたけど、買占めではなく、まとめて自分の必要なものを買う。そういう人たくさんいたとおもう。毎日毎日スーパーに行くなんて、リスクが高すぎる。

そこからは、食料品を買いに行く以外はずーっと家。その後、緊急事態宣言もでて(なんの効力も持たないけど)あれよあれよ・・・

 

とにかく今は、STAY HOME。そうして何より勝手にロックダウン。

 

 

 

 

 

間も無く平成という時代が終わる。

 

今思えば、平成の始まりはドラマのような始まりだった。

goodではなくbad www

昭和の終わりとともに、一つの恋が終わった日だった。

そのことが終わったことと、昭和が終わったことで、全てを受け入れられないという感覚だった気がする。

 

TVの中は、すべての笑顔が消え、菊の花で埋め尽くされていた。

こんな悲しいことがあるんだろうかと、思ったのを覚えている。あれから30年早い。

 

最近、平成を振り返るTVを見て思ったけど、自分の思い出は平成が多い。

幼少期が昭和、自分を作り上げたのは平成なんですね。

 

平成という時代、本当にたくさんのことがあった。

大きく自分を成長させてくれたそんな平成。

 

そうして、夢だったことが叶った。沢山沢山の思いが叶った。

10代からの大きな夢が叶った。そのことが夢みたいだなと思う。

そうして、沢山の出会い。

昭和の時代には、想像もできないくらい、人に恵まれた。

昭和の自分に教えてあげたいくらい最高の縁に恵まれました。

 

沢山のお仕事をさせてもらって、いっぱいの経験も。

そうして、やりたかった仕事をできて、住みたかった場所に住めて、大好きな人たちに囲まれて、

本当に幸せ。

 

災害が多くて、大変な時代だったけど、その分の絆もあり、学びの時代でもありました。

 

今言えるのは、ありがとう平成という時代。それだけです。

 

令和という時代は、新しい自分を発見できたらいいなと思います。

今の環境を生かして、何かができるように。

 

新しい時代を作ります。

 

ありがとう平成。

 

感謝。

 

 

 

 

 

本当に久々・・・もう何年も書いてない。

 

小夏との初対面、同窓会、連れ合いを亡くした父と兄と3人で35年ぶりくらいの食事。色々なことを感じた4日間。

 

誰かに見せる訳でもない、ココに何となく書きたくなった。

 

父が本当に嬉しそうにお酒を飲んでいた。こんな時間が過ごせるなんて・・・と、本当に嬉しそうに。

避けてきた訳でないけど、あえてそれをしてこなかったし、正直面倒な時間でもあった。

まさか、父が一人暮らしをしなければならない時が来るとは、夢にも思わなかった。でも、現実でもある。

老いて行く親に寂しい思いをさせるのは心が痛いけど、それ以外に方法もない・・・そうして、きっと父もそれ以外のことは望んでいない。

連れ合いを亡くしたことで、『家でしゃべれないのが辛い』と言っていた。本音なんだろうね。

 

もう・・・子供の頃から以外に記憶にない3人で写真を撮った。

最近、大事な人を亡くすことも多くて、写真を撮っておかないと!と最近思う。次があるかどうかわからないから、思い出はちゃんと形に残しておきたいと思う。

父には長生きしてほしいと、兄が言っていた。もちろんそう思う。それを同じ位、何が起こるかわからないと思う。それは、常に覚悟していなければと。

 

兄が言っていた。

親父のことも心配だけど、お前のことももっともっと心配だと。

東京と仙台で離れて暮らして30年が過ぎたけど、本当に心配なんだと。

地震や、突然の病気、色々あるだろうと。何処にいても、それはお互い様。

家族で、そんな本当に話しをしない時間が沢山過ぎてしまったから、

良い時間を過ごせたとおもう。

 

最近、帰省しても父と会うことは少なくなっていた。ある時をきっかけに、あうことを避けてきた。でも、ちゃんと向き合わないといけない時が来たんだなと思う・

私に何が出来るのか、それはこれからちょっとずつ考えて行こうと思う。

 

そんなことを考えた2016.9月であった

 

色々考えた。

 

やまちゃんから貰った本を読んだ。

色々考えた。

私は、あの時色々考えたんだ。
これを本にしようと思ったんだ。
でも、結局時の流れというもので忘れていたりするんだ。

記憶は曖昧だから、きっときっとあの時の事も私忘れてる事が沢山あるんだ。
だから、ちゃんと書こう。

思い出したいからじゃない。
それは、あっちゃいけない事だけど、万が一のため。
そうして、絶対忘れちゃいけないあの事を忘れないため。


3/13仙台に帰る準備をした。
買い占めがニュースになる前のできごとだけど、
色々なコンビに、スーパーにいって、色々な物を買いまくった。

買い占めにならないように、何個かは残して、とにかく仙台にいる、家族、親戚の為にと、沢山物を買いまくった。

小さい子供も居る。姪も怖い思いをしている。

我慢できない子供の為に、お菓子を買った。
ガスが、通っていない地域、電気が通らない地域がある。
水だけは、かろうじて出ているようだ。
とにかく、いろんな物を買ってみた。

カセットコンロのガスが売っていない。

お店を営んでいる友達に電話しまくって、分けてもらった。【感謝】

そうして、夜マイクロで仙台に向かった。
20人乗りの車に3人しか乗れない位に荷物を積んで。


当たり前に使える高速道路が使えなかった。
下道で仙台に向かう。

FBに書いたから、仕事仲間から電話。
【ciaoちゃん、福島が大変な事になってるから、今すぐ引き返して!ciaoちゃんに何かあったらどうするの。】って。
ありがたかった、でも、引き返せなかった。

下道で行くと、通れない道、道路がなくなっているところ、もちろん電気が通っていなくて、真っ暗なところもあった。
東京みたいに、コンビニにトイレ行けない!!!一緒に行った友人がおなかが痛くて・・・でも断水でトイレも借りれないんだよね。
私は、トイレ近いんだけど、このときばかりはトイレ行きたいと思わなかったな~。

東京から離れていくと、コンビニも物がどんどんなくなっていった。

ちなみに、最後に買ったのは、福島のコンビニで、冷凍のラーメン3個⬅最後の最後まで物を買うやつ。

福島が近づくと、正直不安になった。
放射能?どうなってるの?

車にも放射能がついてる。着ている服にも。
ついたらすぐ着替えて!!とか・・・いろんな事を言われた。
車は、窓を閉めて、エアコンは切って!等など。

ま、そうもいってられないんだよね。

そうして、反対車線は大渋滞。
ガソリンスタンドも、長蛇の列。

ラッキーな事に、福島で、まだ開店前のガソリンスタンドを発見!
10台くらいしか並んでない!これは並ぶしかない!!!!

1時間くらい待って、やっと給油。これが本当に命拾いだった。

仙台に着いた。

見た目には、そんなにわかる様な被害は見えなかった。

まずは、市役所へ・・・