待ってる子って言われるのがイヤだった
待つのが嫌いなまちこです。

 

 

待つ。

 

わたしの名前の「まちこ」は「待子」って書きます。

 

 

 

わたしはこの名前が気に入ってる。

 

 

それはあまり周りにいないから

特別感がある!って勝手にそう思ってる¨̮♡︎

 

 

お洋服大好き♡淡路のお洋服やオルフェウスのまちこです!

 

 

でも本当は

 

「かんこ」になるはずだったの

 

 

たしか、お寺さんに見てもらったら

「寛子」がいいって

 

でもお母さんが「ひろこ」だから

違う読み方で「かんこ」・・・ガーン

 

 

「かんこちゃん」可愛いじゃんって

おばさん達が盛り上がって

もう決定!!!ってなりかけた

 

 

でも「がんこちゃん」とかってからかわれそうとか

多分みんな「ひろこ」って読むから

毎回訂正しなきゃいけないだろうって・・・

 

 

たしかに・・・それめんどくさそうあせる

 

 

 

それでせっかく見てもらったけど

ママが「サザエさん」好きだったのもあり

本棚を眺めてたパパが一発で「まちこ」に決定!!

 

 

漢字も一般的には町子、真知子、街子・・・かな?

 

 

そこも姓名判断でみてもらって

ぎょうにんべんの「待子」になったそうです

 

 

よく”名は体を表す”っていうけど

私は真逆。

 

待ってる子。と言われるのはイヤだった

 

 

でも以前、松下幸之助の「時を待つ心」

これを読んで少し感覚が変わった

 

 

時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。

だが何もせずに待つことは僥倖を待つに等しい。

静かに春を待つ姿は、一瞬の休みもなく力をたくわえている。

 

私たちが桜の木を見上げるのは

花の咲く時期だけ。

 

でもただの枯れ木の冬の桜の木は

ただその時を待ってるのではなく

周りには変化が見えなくて

一瞬の休みもなく力を蓄えてる。

 

 

それから桜の木がさらに好きになったのと

”待つ”ってことのイメージがかわった

 

 

お店の行列も基本並ばない

 

 

自分は待つのがイヤだと思ってたけど

何もしない時間がイヤだったのかも…

 

 

誰かと並んでる時は話したりするから

全然イヤじゃないもんね。

 

一人でも最近はスマホをみたり

なんかしてるうちにあっという間にすぎる。

 

でも電波が悪かったりして

全然動かない、通信できないときは

 

オッソーーー!イイーってなるけど。笑

 

 

 

ただジッと耐えて待っているよりは

何かして変化したい。

 

 

人は変化を好まないっていうけど

 

変化する、新しいことをするのは

不安がある、心配でもあるし

 

自分自身じゃなく周りが変わることも

心配だったり

 

 

それが行動を抑える・・・

 

本当の自分らしい生き方を抑えてしまう

 

 

動いていけば失敗もする

 

犬も歩けば棒にあたる!

 

 

棒に当たりまくるよ

自ら棒に突進してる時もある

でも突進して初めてわかることもある

 

 

怪我をするよと言われてても

何度「ほらみたことか!」って言われたか

 

 

生傷の絶えない子供の頃から

 

行ってみて、やってみて

飛んでみて、潜ってみて

 

 

それで初めてわかる・・・

そんなおバカです

 

 

”かんこ”だったら違ったのかな?

 

ちなみに

はじめて買ってもらった赤ちゃんのお人形に

私が「かんこ」と名前をつけた時は

両親ともにかなりビックリしたそうです!!

 

聞こえてたのかな?爆  笑

 

 

待っていられない子って思ってたけど

いや、十分待ったかもね。。。

 

 

 

人生は有限。

じっくり絶え間なく力を蓄えて

 

 

着々とわが力をたくわえる人には、

時は必ず来る。時期は必ず来る。 

 

 

 

 

 

松下幸之助の「時を待つ心」

下に載せておくので

良かったら見てくださいね。

 

 

今日は以上です!

 

 

 

「何ごとをなすにも時というものがある。

時、それは人間の力を超えた、目に見えない大自然の力である。

いかに望もうと、春が来なければ桜は咲かぬ。

いかにあせろうと、時期が来なければ事は成就せぬ。

冬が来れば春はま近い。桜は静かにその春を待つ。

 

それはまさに、大自然の恵みを心から信じきった姿といえよう。 

 わるい時がすぎれば、よい時は必ず来る。

あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ。

時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。

だが何もせずに待つことは僥倖を待つに等しい。

 

静かに春を待つ姿は、一瞬の休みもなく力をたくわえている。

たくわえられた力がなければ、時が来ても事は成就しないであろう。 
 時を得ぬ人は静かに待つがよい。

大自然の恵みを心から信じ、時の来るを信じて、

着々とわが力をたくわえるがよい。

 

着々とわが力をたくわえる人には、

時は必ず来る。時期は必ず来る。 
 待てといわれればなおあせるのが人情である。

だが、自然の理はわがままな人情には流されない。

冷たいのではない。静かに時を待つ人には、

暖かい光を注ぐのである。

おたがいに時を待つ心を養いたい

(「道をひらく」PHP研究所刊より)