大切な人をがっかりさせてまで生きているべきなのだろうか?
食べ過ぎ・飲み過ぎによる体調悪化
昨日(2024年4月6日)、体調が良かったため、娘と卓球をした後、調子に乗って「餃子の王将」で炒飯、餃子、春巻を食べ、さらには「築地銀だこ」の九条ねぎマヨ焦がし醤油まで食べ、ラストは「ドトールコーヒー」の沖縄黒糖黒ごまラテ(めちゃくちゃ甘いですよ)まで飲みました。
その結果、帰宅してから胃がすごく気持ち悪くなり、ゲロを吐く寸前で、せっかくの休日だというのに、夕飯を食べることも無理で、何もすることができませんでした_| ̄|○
故・父親に対するがっかり感
その間、横になっていろんなことを考え込んでおり、ふと、10年前に肺がんで死去した父親のことを思い出したのです。
たしか、15年くらい前のことなんですが、父親と一緒に公営プールに行った時のことです。
岡山県出身の父親は、子どもの頃は毎日、旭川を泳いで何往復もしており、泳ぎが得意だったので、50代になっても、一人で江ノ島まで泳いで往復していました。
しかし、一緒に公営プールに行った父親が70代の時は、身体全体がシワシワになっており、ほぼ泳ぐことができなかったのです。
その時、私は本気でがっかりしたんです。
口にはしませんでしたが、「なんで泳げねーんだよ!もっと鍛えろよ!」と、心の中で叫んでいました。
そして、その後は父親と会うことさえ避けていたんです。
いやはやまったくもって、失礼過ぎる話です。
すぐ顔に出てしまう私の気持ちに、おそらく父親は気付いていたでしょうから、ものすごく悲しい気持ちになっていたんだと思うんです。
今さらですが、本当にごめんなさいヾ(_ _。)
自分は父親よりひどいことになる
すでに還暦を迎えた私は、冒頭のとおり、若いつもりでいると、すぐに体調を崩してしまいます。
さらに、慢性膵炎と糖尿病という持病がありますし、かなりなヘビースモーカー=喫煙者です。
https://ameblo.jp/orokadaneningenwa/entry-12819614233.html
https://ameblo.jp/orokadaneningenwa/entry-12828456638.html
ですから、父親よりも早く、身体と脳の衰えによるいろんな症状が出てくることは、まず間違いありません。
老眼鏡の度数はすでに3.0まで悪化していますし(JINSなどの老眼鏡の最高度数は2.0です)、有名人などの名前をなかなか思い出せなくなっています。
そんな風にならないために、できることはあるにはあります。
泥酔してパッパラパーにならないための断酒はもう約3年になりますが、禁煙は一切する気がありません。
本格的な筋トレはもうしていませんが、通勤中は必ず、階段を膝を曲げたままの1段飛ばしで、一応足腰を鍛えています。
ただね、『死』なんてもんは『運』なんですよ。
酒もタバコもやってないのに、ガンになってしまう人はたくさんいらっしゃいますし、交通事故などはそれこそ『運』です。
やりたいことを我慢してまで、『老い』を防止したって、ほとんど意味はないって思っていますから。
大切な人をがっかりさせてまで生きているべきなのだろうか?
そこで本題です。
『老い』というものは、まず間違いなく、自分にとって大切な人をがっかりさせることになります。
人間ってもんは、そんな大きな失望感を与えることが事前にわかっているのに、長生きしたがってしまう動物です。
私は根っからの変人だからでしょうか、長生きしたいなどとは、これまでに一度も考えたことがありません。
だから、絶対に絶対に絶対に、大切な人をがっかりさせたくないんです。
また、「東京リベンジャーズ」の場地圭介や、「進撃の巨人」のハンジ・ゾエのように、カッコよく生きて、カッコよく死にたいってのもあります。
でも、カッコよく死ぬってのはものすごく難しいことなんですよね。
いつも考えていることなんですが、いつまで経っても答えは出ません。
んで、私が大嫌いでたまらない精神科医の方々は、こういう気持ちの人間に対して、いったいどんなアドバイスをするんでしょうか?
https://ameblo.jp/orokadaneningenwa/entry-12839487754.html
まあ、なんとなく言うことはわかってるんで、聞く耳は一切持っていませんけど(`ω´)キリッ
♪仕組まれた自由に 誰も気づかずに あがいた日々も 終る この支配からの 卒業 闘いからの 卒業♪
以上になります。