被災者支援について江戸時代にできていたことがなぜ今はできないのだろう?
https://news.yahoo.co.jp/articles/c848140b8a0762cb4b6b6c72ea8a568a3eb68325
たとえば今からちょうど170年前、1854年12月23日の安政東海地震のことだ。
黒船来航の翌年に起きた安政東海地震はマグニチュード8クラス・最大震度7(推定)の巨大地震で、その後に襲った津波は外交の舞台だった下田港をのみ込み(停泊していたロシア船が壊れるほどの勢いで)、下田の町は壊滅的な被害を受けた。
驚くのは、その後の支援である。津波が下田港を襲ったのは朝8時~10時頃だったといわれるが、その日のうちに「お救い小屋」(避難所)が設置され、炊き出しが行われている。翌日には被災者の情報調査が行われ、頼れる者がいない人々が「お救い小屋」に入ったという。さらに地震から6日後には、幕府から米1,500石と金2,000両が届けられ、さらにその7日後には生活困窮者に対し金銭が与えられた。
(中略)
その翌1855年には、江戸でマグニチュード7クラス(同)の大地震が起きる。大都会での震災は火災に苦しめられ(吉原では閉じ込められていた遊女が火災で600人以上亡くなった)、「お救い小屋」が設置されたのは3日後だったが、江戸の町方人口の5%にあたる2,700人が入所したという。さらに地震の10日後から約1週間で20万人以上にお握りが配られ、さらに38万1,200人に「お救い米」が配布された。38万1,200人とは当時の江戸人口の7割である。
(中略)
今も冷たい夜を絶望のなかに過ごしている多くの人々がいる。
高齢者や病人の方々の苦痛は想像を絶するが、とにかく一刻も早く温かい食べ物を十分に、清潔な水を十分に、清潔なトイレを十分に用意してほしい。何十年も言われているのに、いまだにプライバシーゼロで雑魚寝するしかない避難所や、何十年も言われているのに、いまだに性被害対策が取られていない避難所や、何十年も言われているのに、いまだに生理用品や化粧品が配布されない避難所の現実に、私たちは「岸田さんは江戸より遅く、備えてない」と呆れ、怒っていいのだ。
多くの命が失われたお正月、犠牲者の冥福を強く祈るとともに、一刻も早い救済を求めます。
まったくもって、すべてについて同感です。
自動車やデジタルなどが皆無であった、江戸時代にできていたことが、なぜ今できないのかについて、その理由を絶対に知りたいです。
『納得のいく我慢』ならば、それはせざるを得ませんが、『納得できない我慢』は、どうかどうかさせないでください_|\○_オネガイシヤァァァァァス!!
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/334407
なんか最近、考えられないようなミスが、あらゆるところで多発している気がします。
為政者というよりも、人間自体(自分も)が劣化していないことを、祈るばかりです。
♪空を見て 気づいたんだ 世界は愛で溢れている♪
以上になります。