さて、札幌でどうにか 駅弁など食糧を調達して 急行大雪6号の自由席に陣取って 東へ向かっております。

ここで やたらに 食の事情を書いていることについて、申し述べておきますと… 私が実際に 北海道を汽車旅

で回っていた1980年代でさえ、コンビニエンスストアは ほぼ皆無だったのです。今の旅行ではコンビニの存在

で 本当に 飲食に関しては便利になりましたね。北海道の田舎駅では 今もほぼありませんが、ちょっとした街

なら どこでもセイコーマートをはじめとした コンビニがあるはずですから。

なので、その頃の供食事情について書いておかないと うわべだけの旅行記になってしまうと思ったのです。もっ

とも、1969年当時に旅をしたわけではないので 所詮想像の世界でしかありませんが… 

それでも 1980年代の経験を基に なるべくそれらしく書こうと努力しています。たとえば、駅そばの店についてだ

と、場所によっては 札幌行きの夜行列車が出発する夜遅くまで開けていた(北見、遠軽、網走、釧路など)とか、

同じく夜遅くに駅弁の販売(釧路、網走など)を 実際に見聞きしていました。

しかし 悲しいかな… 当時 食堂車はおろか 駅弁でさえ高いと感じていた 貧乏旅行派の私は、実際 ほとん

ど食べたことがありません。だいたい自然観察や山登りも伴っていたので、寝袋や自炊道具も荷物の中に入っ

ており、持参していた米や 都市のスーパーで購入した食材をコンロで煮炊きして 田舎駅の前とかで堂々と食

事しておりました。鉄道の乗りつぶしで 時間がない時は… まだ ちょっとした小駅の前の よろず屋(雑貨から

食品まで何でも販売していた、コカコーラやお酒の看板が目印)や Aコープ(地場の農協が 組合員・住民のた

めに 区域内に小さな店舗を開いていた)に 飛び込んで、メーカー品の菓子パン(中には 賞味期限が切れてい

たり…)や 惣菜(コロッケなどのおかず)を 缶ジュースなどと買い込んで、列車の中で食べるのが常だったです

。お恥ずかしながら、告白すると、食堂車で食事してみたかったし いろいろな駅弁も食べたかった!!  でも、それ

を我慢して 食事情を犠牲にしつつも、北海道はじめ 全国のローカル線を ひとつでも多く 乗りに行ったのは

間違いなかったと今でも信じていますし、忘れがたい青春の思い出になっております。

… 今書いているのは あくまでも想像の旅行ですが、鉄道・乗り物の乗りつぶしが目的なので せめて 駅弁く

らいは思い切り食べておきたいし、この後も 駅構内の食堂や車内販売の利用も してみようと思っています(笑)

その駅弁だって 今の容器とは違って経木の折箱、冷えてしまえば硬い飯を食べるしかなく… だいたい飲み物

もまだ栓付きの瓶入りがほとんど。塩ビ製の柔らかい容器に入ったお茶が有難かったです。今みたいな ペット

ボトルは皆無で、缶ジュースも プルトップが無くて缶切りで開けて飲んだ時代です。自販機の数も 全然少な

かった。お若い方が 読んでくださっていたら… 想像もつかないでしょうが、今との違いを感じて欲しいですね。


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そんなコトを申しているうちに、急行大雪は 旭川を過ぎて 山に差し掛かっています。仮眠した後、三日目の行

程を考えなければ… 旧客の硬い座席の上に 寝起きの頭で 道内時刻表を開いていました。

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当時の路線図、北海道の右半分を載せましたが… 今の時刻表と比べたら 路線がテンコ盛りになっています。

現在は 大正時代以前に戻ったそうな。それは ともかく、網走へ石北本線で向かうと、まず遠軽、続いて北見、

さらに美幌、網走と それぞれ乗り換えができますね。 特に 遠軽から名寄本線に乗り換えれば 中湧別でま

た三方向に分かれたり、網走からも両方向へ行くことができました。国鉄のネットワークが 最大限に発揮されて

いた時代です。

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とはいえ、ローカル線ばかりで 運行本数もそんなに多くないのは明らか。当時も 高度経済成長期の終わりに

近づき、地方の過疎化は始まっていました。なので乗り継ぎも よく気をつけないと 効率悪くなってしまいます。

遠軽で 名寄本線に乗り換えると… 中湧別でさらにルート選択を迫られます。問題なのは 湧別支線で、一日

わずか二往復。始発では 朝の便にも早すぎるのです。また湧網線、渚滑線や その先の 興浜南線との兼ね

合いもあり、足が向かなくなりました。 では 網走まで行くと… 湧網線は 湧別支線に乗れず、釧網本線を行く

と 当時残っていた根北線との接続が悪く こちらもボツ。手前の美幌で 相生線に乗ってから 網走へ向かって

も やはりダメ。残ったのが 北見から 池北線に乗り換えることになりました。幸い こちらは 池田から 釧路・

根室へ、あるいは帯広方面へも 行かれます。

ということで、三日目の朝5:46北見に到着。ちょうど倶知安からの車両は ここで切り離しになるので、お客が皆

降りていきました。ホームを移って 池北線の始発 新得行きに乗り換えます。キハ22の二両編成で それほど

乗客もいません。残念ながら 朝が早すぎて 弁当の販売もそば屋も開いていないので、我慢です。

真冬には -30℃以下になる丘陵地を越えて 十勝へ入り、10時前に池田着。しかし、釧路方面への接続が悪い

ので そのまま乗車して帯広へ向かうことにします。腹ペコ状態なので、まずは 帯広で降りて食事をしたくて。

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池田では まだステーキ弁当の販売はされていなかった!?   時刻表に表記はなく、親子弁当のみ。しかも 三分

停車では買えないとしました。立ち売りしているイメージが無い駅なのです。確か 駅の売店か 駅前のお店でな

いと、駅弁は買えなかったはず。そして北見発の930Dは、10:22帯広到着。駅構内の 日本食堂にダッシュ!!

                                                                                                                               つづく