トレードで大きく利益が出た日。
逆に、
想定以上に損が出た日。
以前なら、
その数字に心は大きく揺れていた。
でも今は違う。
勝っても、
負けても、
しばらくすると、
感覚がゼロに戻る。
冷静にチャートを見て、
ただ次の一手を考えるだけ。
それなのに、
ふとした場面で違和感に気づく。
スーパーで、
100円、200円の商品を前にして迷う。
ネットショップの送料を見て、
「少し高い」と感じてやめる。
でも、
交通費のチャージにはほとんど迷わない。
同じ「お金」のはずなのに、
反応がまるで違う。
トレードを続けていて気付いた。
同じ金額でも、
価値は同じではない。
同じ1万円でも、
・生活費のお金
・将来のためのお金
・投資のお金
・遊びのお金
それぞれ、
まったく別の意味を持っている。
特に、
トレードのお金は異質だ。
それは
生活のお金とは完全に切り離されている。
トレードの中でのお金は、
・ポジションを取るための道具
・確率を試すための道具
・需給を取りに行くための道具
それ以上でも、
それ以下でもない。
増えても、
減っても、
それはただ
「次の局面の材料」になるだけ。
昔読んだ言葉を思い出す。
「お金ではなく、エッジを積み上げている」
まさにその通りだと思う。
見ているのは金額ではなく、
・どこで入るか
・どこで抜けるか
・その判断が正しかったか
その精度だけ。
一方で、
スーパーの100円はまったく違う。
それはただの数字ではない。
そこには
・生活
・家族
・時間
・安心
が紐づいている。
だから人は、
生活のお金には慎重になる。
この一見矛盾した感覚は、
実は自然なもの。
行動経済学では
「メンタルアカウンティング」という。
人は無意識に、
お金を別々の財布に分けている。
・トレードの財布
・生活の財布
・娯楽の財布
そしてそれぞれに、
違うルールを適用する。
トレードを続けていると、
この「財布の分離」がはっきりしてくる。
以前はすべて同じだったお金が、
完全に別のものになる。
だから、
大きく勝っても、
大きく負けても、
心はゼロに戻る。
金額に慣れたからではない。
お金の「役割」が変わったから。
トレードの世界では、
重要なのはお金ではないと思っている。
・需給
・確率
・タイミング
・判断
お金は、
その結果として動くだけのものになる。
だから、
増減に感情が乗りにくくなる。
むしろ、
そこに感情が乗った瞬間に負ける。
対照的に
スーパーの100円は、
妙に重い。
その100円は、
生活に直結しているから。
同じお金なのに、
まったく違う重さを持っている。