今日の透析ちゃん 12
透析を受ける。
腎不全患者にとってこれを受け入れられるかどうかで、
今後の人生設計は大きく変わるだろう。
オレも、受け入れたのかと問われると自信がない。
ただ、否応なくそれ以外にもう道がないのだから、
自分がどう思っていようと透析する以外に無い。
決して投げやりなわけではなく、ポジティブに、流れに任せるといった方向だ。
そう思えるのは、恋人がいるから。
彼女との未来がある、それだけでオレはとても前向きになるし、
「透析をしなければ生きられない」のではなく、
「透析してでも生きる」という考えにシフトすることができる。
まあ考えようによっちゃ、職が無くて大変っていうのと腎臓が無くて大変ってのは、
大して変わらないってことだ。
透析を受け入れたことで、オレはヘンにハイテンションになった。
オレはこれで身障者になるけど、でも、漫画家で身障者なんてのは
ちょっと面白いかも知らん。
それに、今までの健常者であるオレが言っても説得力が無かったメッセージでも、
これからのオレが言う言葉にはものすごい説得力が生まれることが多々あるだろう。
作家として、障害を持つというのは実は結構、武器なのではないだろうか。
健常者が言えばただのキレイ事でも、障害者のオレが言えば正しい。
そういうことがある。
ああ。
そうだよ。
そうなんだ。
腕が無くなったわけでもない。
目が見えなくなったわけでもない。
告知を受ける前からの恋人が、変わらずオレを愛してくれている。
オレは今までと変わってないんだ。
透析の時間を物理的に少しだけ奪われるだけで、
本当は失ったものより得たものの方がずっと多いような気がする。
その透析時間だって、漫画家という自由業である以上、
好きなように自分の都合で折り合いが付けられる。
漫画家で良かった。
オレは、オレで良かった。
これは負け惜しみでもなんでもない。
オレにとって、腎不全という病気はそういうものだ。
オレは決めた。
「障害者で漫画家で、それでもかっこいい人間で楽しくいよう。
そういう人生を送ろう。オレは、かっこいい障害者になろう」
オレは驚くほど前向きな気持ちで一杯になった!
早歩きで元気にフロアを駆けずり回りたくなったが、
カテーテルがあるのでそれは無理。
このテンションを誰かに伝えてやらなイカン。
オレは両親にメールを書いた。
できるだけ感動的に書いて、泣かせてやろうと思った。
全文きっちりと覚えているわけではないが、できるだけ思い出して書いてみる。
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お父さん、お母さんへ
今日の夕食は、またオレの大好きなものばかりでした。
○○(恋人)が付き合ってくれて、あっという間に食べたよ。
このところ毎日美味しく食事が取れています。
明日も楽しみだ。
入院して以来、毎日来てくれてありがとう。
お父さんはそんなこと当たり前だと言うけど、そんなことはないと思うんだ。
嬉しく思っています。
みんなはここに来て、いつも冷静にいてくれるけど
家ではそんなことないと思う。
特にお母さんは心を痛めたこともあると思います。
今オレはそれに対してなにもできなくてごめんね。
今日先生と話をして、一生懸命メモを取るお父さんの姿に正直すごく救われました。
ホントにありがとう。
でもオレは今、とても安らかな気持ちでいるのです。
そう思えるのは○○がいてくれるから。
いつも見てて分かると思うけど、オレ、本当にいい子を見つけたでしょう?
あれから2人で話をして、これからどうするかはもう決めました。
明日みんなと一緒にそれを再確認して
次のステージへ進んでいこうと思います。
オレは、お父さんとお母さんの息子として生まれたことを
本当に嬉しく、誇りに思っています。
本当にありがとう。
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こんな感じ。
「次のステージ」とか言って、
「透析を受け入れる」と明言はしないところが作家っぽいな。
お楽しみは翌日じゃ。
書いている時、泣かせようと思って書いてるオレがなぜか泣いてた笑
なんか涙が溢れてきた。
どういう涙なんかなこれは。
別に自分の境遇を憂いたわけでもないし、
両親に申し訳なく思い詰めたわけでもない。
なんか分からないが、それほど悪い涙ではないんだなと思った。
オレは入院してから、涙もろくなった。
朝6時に起床するというローテーションは、
もはやオレにとって普通のことになってきた。
夜も普通に寝付けるようになってきたしね。
朝早起きするのはなかなか気持ちいいもんだ。
歩けないオレは、オレ専用に車椅子をゲットすることに成功した。
毎朝起きて顔を洗って、ロビーへ車椅子を転がす。
晴れていればそこから富士山が見える。
こないだまで昼まで寝てて、起きてもしょぼしょぼしてたオレが、
朝6時に起きて元気に富士山眺めてる。
まったくどっちが病人なんだかな。
身体がなまらないように、空いてる時間は車椅子でフロアをぐるぐる回った。
同じように、フロアを散歩してる患者がけっこういた。
入院する前、オレは気持ち悪くてベッドから起き上がることさえできなかった。
今はまだ車椅子だけど、オレは自由に動ける。
オレは着実に快復している。
カテーテルからの透析ももう安定したし、透析を受け入れてしまった以上、
もう心配事というのは無い。
あとはただ治せばいいんだ。
そう言えばシャント手術と言っていたけど、
オレは入院してしばらくこの「シャント」というものが
どういうものなのか分からなかった。
透析をしやすくするために、と聞いていたから、
なんか小さい蛇口的なものを腕に埋設するのかと思ってたけど、違う。
これは静脈に動脈をつなげて、いわば静動脈にする手術。
そうすることで、深く刺すことなく多量の血液を取り出すことができる。
簡単な手術らしいが、手術であることに変わりない。
メスで切って、中身をいじくるんだ。
しかも局部麻酔だから、状況が分かっている。
「あの女医じゃなければいいなあ…」
オレの心配事はもはやその一点に集中していた!
あいつは!
いやだっっっっっ!!!
この頃になると、自分の回りのことをいろいろと観察する余裕が出てくる。
透析ルームにいる時も、あれこれ見たり、
看護士さんたちとフランクに話もできるようになった。
毎回のオレの挨拶も、日に日に声が元気に大きくなってくる。
やはり状況が分かってくると安心できるもんだ。
ラジオを持ち込んで、いつもFM横浜を聞いてた。
「藤田くんの街レポート」が好きでした笑
毎回3時間なので、ラジオがあってもいい加減飽きるんだけどね。
寝ようと思ったけどあんまり寝られなかったな。
ちなみに今は透析中普通に爆睡してます。
透析の用意が遅れたりして開始がずれると、
昼ご飯の時間になっても透析が終わらない。
そうなるとメシが冷めて悲しいので、いつも9時に始まらないとヤキモキしてた。
そうやって色々なことに慣れてきたオレだが、ダメなこともあった。
飲水量の制限。
これはキツかった。
オレは元来飲むのが好きなタチで、1日に何杯も飲んでたから、
それが自由にできないのはなかなか厳しかった。
1日の飲水量は700ml。
普通のコップに少なめに5杯ぐらいかな。
同室の人の中には飲水制限が無い人もいて、
自由にお茶飲んでるのを見たりすると非常にブルーだった。
退院すれば無くなると思ってた飲水制限だが、どうもこのまま一生らしい。
それは、困るワネ…。
あと面倒なのは尿量の計測。
どうも、これも退院後もやらにゃならないらしい。
そんなんどうやってすんのよ。
まあそういうことにドキドキしながら、日がな1日クロスワードをやって過ごし、
後は見舞いがくるのを待つ。
オレの1日はそういう感じだ。
オレの部屋には毎日誰かが面会にいて、面会時間ギリギリまでいて、
いつも笑いがあった。
多分同室の連中は羨ましかっただろう!
次の日の面会時間。
両親、弟がそろった中で、オレは恋人と一緒に「透析を受ける」旨を伝えた。
オヤジ達はもう最初からこうなることは一応覚悟していたようだった。
あとは先生にそれを伝えたうえで、いつ例のシャント手術をするのか決める。
それが決まれば必然的に退院が見えてくるのだ。
問題は手術を誰がするのか、だが…
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つづく