【炬燵遊戯】外人には理解できない?
本日8月9日です。1945年の本日に長崎に原子爆弾が投下され多数の人が命を失いました。ご冥福をお祈りいたします。
先日の記事でもお話しましたが、毎年8月になると我々日本人は歴史を振り返り戦争の悲惨さや軍事兵器の破壊力を回想するのが義務となっています。義務というのは言い過ぎかもしれませんがそのくらいで考えておいていいと思います。しかし今現在の世界のどこかではあいも変わらず軍事攻撃が継続中…とつくづく人類というのは愚かな生き物ですね。我々日本人を除いて!と思い上がりたくなる真夏の夜の丑三つ時です。
この記事を書いているそんな真夏の夜の丑三つ時のハイテンションのまま選民意識バリバリのまま話を続けさせていただきますと、そんな侵略のための軍事攻撃を継続中のバカタレの外人たちにも分かっていることが「核兵器の破壊力」です。21世紀も四半世紀過ぎた今現在にも軍事攻撃を続ける旧人類であるバカタレ外人も、日本人が受けた原子爆弾による攻撃による被害の悲惨さだけは分かっているようです。そういう頭の悪い連中にも大きなインパクトを与えたということですよね。バカ外人たちが軍事攻撃が続ける中で核兵器の使用に踏み切らないのがその証左であると思います。原子爆弾投下は「バカにも分かるインパクト」を世界中に与えたと言えるでしょう。
しかしながら経験からしか学べないのがバカなので戦争や軍事攻撃そのものはやめることをしません。使用はせずとも核兵器の所持はやめません。日本以外そのような感じです。日本に原子爆弾が投下されなかったら日本国憲法第九条が生まれたかどうかは分かりませんが、1945年に日本で起こった原子爆弾の投下という悲劇は確実に我々日本人の意識のページをめくったと思うのです。「もはや戦後ではない」という時代の日本で生まれ育った世代のアラフィフの我々でも戦争の悲惨さ原子爆弾の恐ろしさは意識の中に刻みつけられています。
そのように基本的には戦争反対核兵器使用反対なのですが、現在もこの先もバカタレ外人が武力行使あり核保有ありの「NO NUKE NO LIFE」なスタンスで居続ける以上は、不本意ながら我々日本人も武力行使に抗するやり方は知っておかなければいけないし核保有もしなければ国を守れないかもしれない…と気持ちが揺らいでいます。考え方としては「戦い方を知りつつこちらから戦いを仕掛けることをしない」ことと「核保有はするけれど核兵器使用しない」というところに着地させるしかないような気がします。盲目的にとにかく反戦を叫んでいればいいというわけではダメだと思うんですね。
わたしも「核兵器は持つべきではない!」と叫び続けるべきだというのは正論だと思うのですが、とにかく日本以外の国の人間には話が理解できないようですからね。バカ外人にはなんか絵空事くらいにしか思われないんですよ。何ていうか我々日本人が考えている「核兵器廃絶」は23世紀の考え方で、その他の国のバカ外人には進みすぎた考え方なので理解できないわけです。それくらい意識の隔たりがあります。もうそう考えるしかありませんよね。「23世紀の常識人は21世紀のスキツォイドマン」くらいの隔たりがあります。そうなってくると口で言っても聞かないので、武力行使で黙らせるしかない…というバカ外人的な発想になるんですよ。しかしながら我が国日本には徳川家康公という偉大なる前例がありますから武力行使によって戦争大好きなバカを滅ぼして天下太平の世を生み出し戦の無い世界にすればいいわけです。日本人である我々ならできます!いや、日本人のオレたちがやらなければ誰がやる!とまあエキサイトしてまいりましたが、実際は戦争も核兵器も無い世界を戦争せずに作る方法はあるはずですしできると信じたいところです。
というところで現場からは以上でございます。読者の方お付き合いありがとうございました。また次回でございます!
【終劇】
〈制作スタッフ〉
佐藤 宏樹(チーフ)
〈中の人〉
葛井 徹(創世者)

