国籍・民族・宗教などを理由に、人々を一括りにして批判し、排斥することは差別であるとされています。
さべつださべつだ、かくさだかくさだ、どこかの新聞はリベラル気取りで、差別や格差と表現できるネタを探して、脚色してニュースを製造します。
では排斥とはなんでしょう。
人として当然受けられるべき権利から排除されることを排斥と呼ぶのであれば、朝日新聞が執拗に曽野綾子批判を行った、居住区を分ける件は、居住の自由を奪う、というものです。では、居住の自由は誰によって誰に与えられているのでしょうか。
それは主権国家である日本国が日本国民に与えたものです。残念ながら日本人以外には権利として与えられたものではなく、許可を受けるべきものです。いわゆる移民が日本国籍を与えられたのであれば、当然のごとく居住の自由は与えられます。
曽野綾子氏の居住区の議論の私の理解では、日本の文化や習慣を理解・尊重・実行しない集団が急激に日本国内に増えた場合、社会的な不安を募り、居住という観点においては、住民トラブルや行政トラブルを起こす、ということです。
日本の文化・習慣を理解・尊重・実行しない人たちは、日本国籍を取得する資格に欠けると言わざるを得ません。日本国民になる意志がなくて良く、労働力としての外国人を日本が受け入れる制度が仮に採用されたとしたら、日本国が許可する居住区に住んでいただくことに何の問題もありません。
逆に日本国民になる意志がある移民であれば、日本の文化風習に慣れるまでの慣熟期間として、これまた居住区を制限しても良いのです。晴れて日本国籍を取ったのちに、自由に引っ越していただければ良いのです。慣らし保育みたいなものです。
朝日新聞の記事があまりに低レベルなのは、居住区を分けるという言葉尻だけに共通項を発見し、南アの人種差別政策との同義性をことさら強調することです。南アでは、黒人は上下水道・病院など社会インフラからして劣悪な地域に住むよう制限されました。曽野綾子さんはそういうことを言ったのでしょうか。何一つ言っていません。
言葉尻だけ聞かされた南アの黒人は気分を害したという「告げ口旅行の紀行文」で、記者のレベルがわかります。バカでないのだとしたら、これは悪意ある結びつけでしょう。どちらかは私は知りません。現場記者が低レベルで、編集長が意図的にやっているのかもしれませんが、つまりそういう新聞です。