先に書いた、中洲川端のホテルに泊まって、博多で年を越した事がある。

 

 

博多の冬は、寒い。

 

その年の暮れは、とても寒かった記憶がある。

 

 

 

年越し後の元日は、食事処が休みになるので、どこで食べようか、考えていた。

 

最初は、どこかホテルのレストランに行く事を考えたが、正月の料理を頼めば、とても高くつく。

 

スーパーで、あらかじめ惣菜を買っておこうかな、とか考えていた。

 

 

ホテルの近くの、リバレイン通りに、博多座のお客さん向けの弁当を売っている店があるのだが、その店の前を歩いていると、「おせち料理ご予約承ります」の張り紙があった。

 

私は、一人分のおせち料理があるかな、と思い、その店に入ってみた。

 

一番小さいタイプのおせち料理が、1万円になっていた。

さっそくそれを注文したのだが、その際、店の女性が気さくな感じだったので、私はつい、自分は旅行者で、このおせちを食べて正月を過ごそうと思ってる事などを、喋っていた。

 

私は、この気さくな女性に、観光客でも安心して入れる屋台や、この店の本店でがめ煮が食べられる事など、旅行者に役にたつ情報を教えてもらったのだった。

 

 

大晦日の日、私はそのおせち料理をホテルに持って帰った。

 

その料理の内容を、私は残念ながら、詳細に覚えていないのだが、2段のお重に入ったおせち料理は、関西舌の私を充分に満足させてくれる、いい味付けのものばかりだった。

 

量も、いくら博多は都市部の割には物価が安いとはいえ、1万円でこれだけ入れてくれるなんて、何て良心的なのだろう、と思う量であった。

 

私は、その、博多おせちを充分に堪能して、東京に帰っていった。

 

 

 

帰宅後、あのおせちは、とても満足できた事を伝えて、気さくな店員さんにもお礼を言いたいな、という気になり、私は、残っていた年賀はがきに、おかげでいい旅になりました、と書いて、料理店に送った。 

 

私は、そのはがきを送った後、今回の旅の話はこれで終わり、という気持ちでいた。

 

 

その後、しばらくして、その料理店の女将さんから、手紙が来た。

その店は、女将が切り盛りしている、というのは、その時に初めてわかった。 


私は、あっ・・・と思い、封を切った。

 

そこには、わざわざ礼状を書いて頂き、ありがたく思っている、と書かれてあった。

 

 

私は、残りはがきに書いてしまったお礼にでも、感謝してもらえたその女将が、おそらくあるはずの幾多の苦労を越えて、その店を、さらに発展させていってもらいたい、と今も遠くから、願っているのである。