舂屋の造形が完了しました。(鬼瓦はエッチングパーツ使用予定のため未完成です。)
模型完成時のメリハリを考えて、表現は簡略化したりしています。
それでも出入口の場所や格子窓の範囲、柱の位置や数は「御城内御絵図」の描写をそのまま立体化しています。
古写真から屋根の納まりも苦心しました。その前回の考証内容に問題が無いわけではなく…
古写真と重ねてみると、煙出しのある土間部分の屋根が一間ほど写真の方が長いのです。原因はいくつか考えられますが、今回は考証の厳密さに最重点をおいているわけではありませんのでこのままでいきます。
御依頼主も、ミュージアムそのままの模型や究極に厳密な考証の模型が欲しいのではなく、私が考証して私の作風での模型を望んでいるので、とおっしゃってくださいましたので、私の考証の限界や独断もそのままでいきます!
引き続き厩を作りました。
全体像は後ほど。
「御城内御絵図」では13間に5間ほどの規模で「御厩」とあります。馬立が12〜15騎分ほどある大規模なものです。
その後の絵図では「御
舂屋物置」となっており、用途が物置に変更されたようです。
また、別の絵図では2区画に表現されていて、西側の区画が「薪納屋」、東側が「漬物納屋」となっています。
今で言うとガスタンクと非常食庫でしょうか。
用途が変わって何が変わるかというと、おそらく臭いが変わったはずです。厩だとどんなに管理されていても当然馬糞と動物臭がしていたでしょう。それが漬物納屋になるとぬか床の臭いになって…両方とも強烈ですね(笑)
そういう城内のにおいというのも、こういう部分から想像してしまいます。
さて、古写真を見てみます。
舂屋櫓の奥に、長く大きな屋根が見えています。梁行が5間もあるので棟も高く、堂々と立派です。
こちらの写真では妻面が見えています。破風板のある面から妻壁までの距離がこれだけあると切妻屋根であることが断定できそうです。蓑甲がついていて格式が高い切妻です。
ところが、こちらの写真を見てください。
木の枝に隠れて不鮮明ですが、隅棟らしきラインが見えていて、東側は入母屋になっているようです。
しかし、見えたままに正直に、ということで、片入母屋の建物としてつくることにしました。
まあ、片入母屋という言葉がちゃんとあるくらいなので、そんなに特殊でもないのかもしれません。
切妻には古写真の通り少し反りを持たせています。
前回の
舂屋の考証でも指摘しましたが、手前にある内堀添いの石塁と土塀の高さが、下の段地表から5メートルちょっと。その上に隅棟が見える入母屋ということで、妻壁の位置は少し高めになっています。先ほどの古写真は、模型のご依頼主が入手された古い絵葉書です。書籍に掲載されているものより格段に鮮明なもので驚いたのでした。
すぐに送ってくださり、スキャンしたものがこちらです。
それぞれは見たことがありましたが、こうやって並べてみると、これは3枚繋がるな、と直感しましたので、パソコンに取り込んで、サイズ調整して3枚の写真をパノラマに合成してみました。
じゃん。
感動…
この眺めを模型で再現するのが楽しみです。