ロゴが決定しました。&大阪城現地調査など | 城郭模型製作工房

城郭模型製作工房

城郭模型作家・島 充のブログです。日本の城郭および古建築の模型やジオラマの製作過程を公開しています。

城郭模型製作工房のロゴを決定いたしました。

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デザインして下さったのは広島県のデザイナーさんです。

屋根を家紋風に表し
『信頼感』『安心感』『躍動感』
『高級感』『堅実性』『成 長』
を表現いたしました。

とのことでした。
私の選定理由は次の通り。

屋根の重なりをシンプルに、象徴的にデザインして下さいました。その上、力強さがあり、印象的です。高級感と清潔さも兼ね備えており、直線のみの造形ながら、目の錯覚で中央縦ラインが曲線を描きながら上昇しているようにも見え、奥の深いデザインと感じました。一目見たときにイメージを限定せず、それでいながら理念を感じさせます。ブランドイメージを高めるロゴだと感じましたので選ばせていただきました。

最終的に38件のご提案をいただきました。質の高いデザインばかりだったので、選定は困難を極めました。ブランドイメージ構築の方向性が少し違えば選んでいただろう案もたくさんありました。

みなさん提案時にこのような使用イメージ画像も送ってくださいます。突然大企業になったようです。
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いつまでも個人商店ですが夢が膨らみますね(笑)

選考過程で、長年使ってきた現在の書体での修正案も出してもらいましたが、不思議なことに、この明朝体でないと、このマークが引き立たないのです。左側は書体が負けてますね。よくできたデザインだと思います。
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ご依頼時にいくつか資料画像をアップして、着想の補助にしてもらいました。おそらく、もとになった写真はこれ。
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ご提案くださったデザイナーさん、スキルと大切な時間を当工房のためにさいてくださり本当にありがとうございました。

さて今週は、急用が入ってしまい、工房から離れておりました。今日はもとから静岡のウッディージョーさんに伺うことにしていたので、色々予定を組み替え、東京の国会図書館で資料収集と、帰りがけに大阪でも途中下車をして大坂城模型のための現地調査をしてきました。移動は有意義に。

国会図書館。
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とても面白い図書館なので、いつか利用方法を記事にしますね。

国会図書館はとにかく時間を取られます。
陽も暮れようとする頃、桜田濠に沿って歩きながら江戸城跡の土塁に豊臣大坂城の二ノ丸堀岸の構想を深めつつ…
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西の丸も土塁。
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静岡で途中下車のあと、大阪でも途中下車、大阪城へ。
玉造口外の算用曲輪に大きな段差があり、その納め方に迷いが生じているので、現在の地形をどうしてもハッキリさせたかったのです。
左側の舗装道路に沿うような形で豊臣期の石垣が発掘されています。ところが、そのすぐ内側に10メートルくらいの斜面があります。右端にその斜面を登る階段が。曲輪が二段に!?
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こんな感じ。
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斜面に沿って歩いていくと
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最終的に「ピースおおさか」に出ますが、ここで全ての謎が解けた。
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タイル状の地面は算用曲輪上段の高さなのですが、通路先に見える道路はかなり低い!

建物の二階部分が城内の高さです。この写真だと右側に見える階段、これが上の写真の通路の先と繋がっています。
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ちょうどこのピース大阪のあたりから土橋の痕跡も発掘されているので、この建物はまさに堀と城内の高低差の部分に建てられていることが分かりました。

一人ブラタモリ状態。

玉造口の中、「一等高し」の土地は現在も一段高かった。
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市正曲輪(現在の梅林)から一等高しの曲輪を見上げる。かなりの段差あり。
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そして青屋口は一番低い。このあたりは鷺島という島があったという形で模型にします。徳川期の築造では、この青屋口周辺は水か止まらない上に石垣の根石が定まらず、難儀をしています。
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藤堂高虎が、自分だったらできます!という売り込みの手紙の文面を考えた反古が残っていて、そのことが分かるのです。

青屋口だけぽこんと低いところを見るとやはり徳川期の埋め立てでしょうか。

ちなみに青屋口の外の地面はさらに低いです。これは青屋口の枡形内から堀外を写した写真ですが、低い地面が遠くに見えています。
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ちなみに今回よくよく歩いてみて確認できたのですが、外堀と内堀の水面の高さが違いますね。内堀の水面の方が高いです。

これは以前、妻の大阪城全景の取材でOBPの高層ビルから大阪城を見下ろした時に、水面の高さ違うように見えるね〜なんてなんとなく話していましたがやはり。
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最後に京橋口外の馬出の遺構石垣を見て。
これは地中にあったものを地上に移したものですが、豊臣大坂城の石垣が唯一露出していて直に見ることができる貴重な場所です。
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追手門学園の北側、ドーンセンターの脇です。

改めて実際に歩いてみて、疑問が氷解したところがたくさんありました。

今週できなかったぶん、週末は稼働する予定です!