お城や古建築の模型を作っていると、石垣の彫刻、垂木や瓦の貼り付け、下見板の作製など恐ろしく単純な作業の繰り返しで気が滅入ってしまうことがよくあります。
そんな時は音楽を聴きながら気を紛らわせます。
ジオラマを作っていると、思い描く景色が見えなくなってしまうことがあります。
そんな時も音楽を聞きます。
建築と音楽、何か共通点があるのかな、と『美学辞典』を久々に開いてみると、やはり音楽と建築は共通点が多いのだそうです。
ちょっとめんどくさい話になりますので、記事の最後にまとめています。興味のある方はどうぞ。
そんなことで、今までの作品も、音楽の中から生まれてきたもの、音楽に助けられたもの、ある音楽を意識しながら作ったものなど、いろいろあります。
ちょっとだけご紹介します。
音楽の好みが偏っています。バッハの厳格な対位法の音楽、ラヴェルの響きの妙を特に好んでいますのでかなり偏っています。
ロマン派的な甘ったるいものは聞かないのですが、最近はフィンジというイギリスの作曲家にはまり込んでしまい、近作はほとんどフィンジです。
やはり桃山建築はバロックですね。曲線の多様と装飾の多さ。
飛雲閣はこの曲でした。
バッハのブランデンブルグ協奏曲第4番の第3楽章。ピアノ編曲番にするとさらにイメージが近くなります。繰り返すテーマの変化が唐破風のリズムにそっくり。●音楽と建築の類似性について
芸術作品は通常、何らかのモデルを模倣することで現出します。
絵は風景や人体、静物など現実のモデルを写すことで生まれ、彫刻も主に人体などを模倣することで現れ、文芸も現実の出来事から創作されます。
一方、音楽と建築は、何かを模倣するのではなく、それ自体の形成が目的です。
音楽は時間において、建築は空間において現出します。どちらともその本質は「非具象性」です。
音楽も建築も、それ以外に似たものが自然のどこにも存在しないこと。
音楽も建築もそれ以外の物事を明確に描写しえないこと。
音楽と建築は、何かモデルを模倣したものではく、その現出自体が目的であるため、より精神性、抽象性が高いとされ、芸術作品の中でも高次元に位置付けられます。
建築は目で、音楽は耳で、こんなにも明確に認識されるにもかかわらず、人間が生み出す最も抽象的なものなのです。
建築は「凝縮した音楽」と言われ、フェノロサが薬師寺の東塔を見て「凍れる音楽」と言ったのも、こういった美学の基礎があって出てきた言葉だったんだな、と思いました。