四天王寺の幻の塔のことを考える | 城郭模型製作工房

城郭模型製作工房

城郭模型作家・島 充のブログです。日本の城郭および古建築の模型やジオラマの製作過程を公開しています。

本題に入る前に…
私の作った雪の清水寺がまたヤフオクに出ています。去年落札されてすぐに転売にかかり、確か落札されなかったのですが、値段を下げて再出品されていますので、ご希望だった方はどうぞ。ちょっと悲しい思いをしたので、私は買い戻そうと思って現在入札しています(笑)深追いはしないけど。
せめて城郭模型製作工房の作品ですとか宣伝文句入れてくれると嬉しいのですがね(笑)
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さてさて。
法隆寺の五重塔を作っています。

この裳階の無い状態を見ていたら四天王寺の創建五重塔はかくやらん、と思えてきました。
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現在の四天王寺↓
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現在の四天王寺は戦後の鉄筋コンクリートの再建です。それでも外観は本格的な飛鳥様式を現していて、丸材の扇垂木や直線の人字形割束、錣葺きの金堂、直線的な屋根など、法隆寺よりさらに古い様式を再現しています。
扇垂木というと、あとの時代のものというイメージがありますが、中国からの直輸入の形なのです。その後日本風に平行垂木になり、もう一度唐様の輸入で扇垂木が復活します。
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なぜ四天王寺が飛鳥様式で再建されたかというと、法隆寺より創建が古く、しかも、法隆寺と同じく、創建に聖徳太子が関わっています。太子が直接創建に関わった寺は四天王寺と法隆寺の2ヶ寺です。

法隆寺が世界最古で現存するのに対し、四天王寺はこれでもかというほど再建の繰り返しで、現在の五重塔はなんと8代目です。

初代五重塔は平安時代に落雷で焼失。
2代目も960年にまた焼失。
3代目は石山合戦の時に信長軍の放火で焼失。
秀吉が移築再建した4代目は大坂冬の陣で焼失。
その後徳川秀忠が再建した5代目は落雷で焼失。
6代目は室戸台風で倒壊。
すぐに再建された7代目は空襲で焼失。
戦後コンクリートで再建されたものが現在の8代目です。

徳川秀忠再建による5代目元和度の五重塔は大工さんがつくった模型が残っているそうですが、戦後の混乱の中で展示に耐えられないほど傷んでいて、収蔵庫に納められたままだとか。これがその模型の写真。昭和10年頃の撮影だそうです。
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その後文化年間に再建された6代目は昭和まで残っていましたから写真も豊富です。
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いかにも江戸期の塔で、ほとんど逓減せず5五重めの屋根の勾配はきつく、重厚ですが頭が重く見えます。
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人も登っている!
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この塔は室戸台風で倒壊。中門が倒れた少しあとに、風で揺れていた塔が二重目から折れ、腰砕けになって金堂に向かって崩壊したそうです。
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相輪の倒壊状況。金堂は傾いたそうですがよく無事でしたね。
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昭和15年、すぐに再建されます(7代目)。純和様のすらりとした塔です。
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戦中ということもあり、また昭和20年の焼失までわずか5年ほどしか存在しなかったので写真も少ないようです。
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図面も残っています。
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この塔は空襲で焼失。炎上する塔の写真が残っています。(隣は屋根の勾配から中門でしょうか)
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この時の様子を見た方がブログに記事にしておられましたのでご紹介致します。

「昭和20年の3月の空襲で五重の塔が炎上、倒壊するシーンを偶然、目撃しました。当時6才でしたが、未だにそのシーンが脳の隅っこ記憶されています。夜中だったので、塔の各層から吹き出す炎によって五重塔の輪郭がシルエットになって浮かび(映画なら絵になる場面でありますが)まもなく下のほうが折れてドドドと崩れ落ちたのでありました。
塔から家まで約300m、こんなに迫力ある火事シーンを見たのはこのときだけです。・・」

こちらから引用させていただきました)


この写真は名古屋城天守の炎上の写真や谷中の塔の炎上の写真とともに、名建築の最期の瞬間として、目に刻み付けられます。


実はこの幻の7代目の塔のフォルムがあまりにも美しくてご紹介したくてこの記事を書いたのでした。
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わずか5年しか存在しなかった、四天王寺の幻の五重塔です。

詳しく知りたい方は↓のサイトをご覧ください。
膨大な量の写真や図面と情報でいつも参考にしています。今回の写真も多くはこちらから転載させていただきました。



法隆寺や薬師寺の東塔などが現存するというのはもう本当に奇跡なのです。