現在高校1年生になる孫が中学受験するときに、
学習塾の先生が湯島聖堂の合格お守りを授けてくれましたが、
見事不合格。
学習塾の先生からもらったお守りを信じて
本当に頑張ったのに・・かわいそうでした。
それ以来、一度湯島聖堂たる場所に行って
婆として文句を垂れなければと!思っていました。
塾の先生は若いから何も知らなくて、
同じ湯島だからきっと天神様と間違えたのかしらねえ・・
それとも同じ湯島だからどうでもいいやと思ったのかしら。
中に入ると「時空」があり、更に進むと「学問」書物やら学びに関する
あらゆる知恵、教えが蓄えられて映画「ハリーポッター」
の世界観が隠れてありました。
確かに巨大な建物です。大きな聖堂です。中には孔子像が在ります。
中国から渡ってきた学問、書物の宝庫だったのでしょう。
全てに「靄」がかかったように白くどんよりしています。
想像では、脇差しの侍の姿した子が階段を上ってきて、
一礼して中に入り書物を取り出し読み始めます。
ここに来る全ての子が賢いわけではない。
賢くなるためにここに来ているのだ。それでも賢くなれるわけではない。
中に設置してある孔子像は、学ぶ事を怠ることなく継続、
努力していく姿を見まもっている。そういう時空が漂っていました。
合格祈願は菅原道真公ゆかりの天神様、神社などから授かった方がいいわね。
湯島聖堂は史跡なので、神がかり的な力に期待は出来ないけど、
学ぶ努力を惜しまず継続することには、それなりの支え、見守りとしての効力はある。
よくも堂々と授けたもんだと・・
お守り授けてくれるんだったら
子供たちがみんな希望する学校に合格できるようにしてほしい・・
三年前の可愛い孫の涙を思い出して、
私ことおばあちゃんは、
文句いっぱいタラタラと垂れてきました。
高校受験のときはちゃんと神社 のお守りいただき、
合格!
<湯島聖堂>は史跡です。
湯島聖堂は、もと上野忍ヶ岡にあった幕府儒臣・林羅山の邸内に設けられた
孔子廟(先聖殿)を元禄3年(1690)、五代将軍綱吉がここに移し、
先聖殿を大成殿と改称して孔子廟の規模を拡大・整頓し、
官学の府としたのが始まり。
この時からこの大成殿と附属の建造物を総称して「聖堂」と呼ぶようになった。
こののち、寛政9年(1797)十一代家斉のとき規模を拡大し
「昌平坂学問所」を開設、官学のとしての威容も整った。
この時の設計は、かつて朱舜水(中国明朝の遺臣)が
水戸徳川光圀のために製作した孔子廟の模型が参考にされた。
また、これまで朱・緑・青・朱漆などで彩色されていたものを黒漆塗りとした。
現在のものは、大正12年(1923)9月1日関東大震災により、
罹災、入徳門・水屋を残し全て焼失、これを斯文会が復興計画を立て、
昭和10年(1935)に再建したものである。
復興聖堂の規模結構すべて寛政9年当時の旧聖堂に拠り、
木造であったものを耐震耐火のため鉄筋コンクリート造りとした。
祀られる孔子像は、朱舜水亡命時に携えて来たものが
大正天皇に献上されていたもを御下賜された御物である。