今度は日本のマスコミの歴史についてみていきます。

 日本のマスコミの中心は通信社、新聞社、テレビです。

 まずは通信社の歴史からみていきましょう。

 

明治期の通信社

 江戸時代までの通信といえば、米相場の動きを旗振り通信程度で、近代的な通信社が生まれたのは明治に入ってからです。

 

 明治に入ると日本各地で新政府に様々な権利を要求する自由民権運動が起きました。

 

 それに伴い、新聞社や小規模な通信社が続々と設立されました。当時は東京だけで200社以上の通信社があったと言われています。

 

 明治の中頃になると、新政府が国内の統制を図るための通信社を次々に設立し始めます。

 

 時事通信社(明治21年設立)現・時事通信とは無関係)、新聞用達会社(明治23年)、東京通信社(明治23年)、日本通信社(明治24年)、帝国通信社(明治25年)などです。

 

 その状況の中、明治34年に「日本電報通信社(現・電通)」が創業されます。創業したのは日清戦争で従軍記者を務めた光永星郎(みつながほしお)です。

 

 彼は日本通信手段の遅れを感じ通信社を設立しました。

 

 しかし、通信社の設立には莫大な資金が必要なことから、彼は利益を上げるために広告会社と通信社を併設しました。

 

 小さな借家から始まったこの会社が後の世界一の広告会社になります。

 

 光永はフランスのアヴァス通信社を見習って、通信社と新聞社の間でニュース配信料と高校料を相殺するシステムをとりました。

 

 新聞社にしてみれば、紙上の広告スペースを与えるだけでニュースがタダでもらえるため、このシステムは上手くいきました。

 

 これにより日本電報通信社は大きく成長していきました。また、現在まで続くスポンサーとマスコミの癒着の始まりでもありました。

 

参考:THINKER署「マスコミとお金は人の幸せをこうして食べている」徳間書店(2011)