アメリカの中央銀行

 前回はイギリスの中央銀行の成り立ちを紹介しましたが、今回はアメリカの中央銀行の成り立ちを説明します。

 

 アメリカの中央銀行はFRB(連邦準備制度理事会)といい、設立されたのは1913年です。アメリカ建国が1776年ですので、100年以上は中央銀行がなかったことになります。

 

 しかし、イングランド銀行の所有者(株主)たちはアメリカの中央銀行の設立を何度も試みてきました。

 

 18世紀か末から19世紀初頭に期限付きで中央銀行が作られたこともありましたが、当時の大統領たちの反対に遭い潰されました。

 

 それでも、株主たちはアメリカの通貨発行権を独占するためにあきらめず中央銀行設立の計画を進めました。

 

 彼らは「中央銀行がないから、金融が不安定になる」という理屈づくりから始めました。

 

 その方法は、イングランド銀行の株主である彼らの特権を活かしてイングランド銀行がアメリカ合衆国の紙幣や債権、手形などの受け取りを全て拒否するようにして、何度もアメリカ通貨の信用を失墜させました。

 

 当時のイギリスとアメリカは、互いに最大の貿易の取引相手だったため、そのたびにアメリカの株式市場と通貨が不安定になりました。

 

 そのような情勢の中、彼らはアメリカには中央銀行がないから、不安定なんだと主張しました。自分たちがアメリカへ金融恐慌を仕掛けておきながらです。

 

 その中でも大きく契機となったのは、1907年に起こされた金融恐慌でした。この恐慌は、ジャイコブ・シフと初代ロックフェラーが株価を暴落させて企業に乗っ取りをかけるために仕組んだものでしたが、議会ではこのような恐慌が今後起きたときの対策として中央銀行設立の必要性が問われるようになりました。

 

 そうした中、ロスチャイルド一族やロックフェラー一族、モルガン一族なと、国を超えて投資活動をする「国際銀行家」が1910年、J・Pモルガン所有のジキル島に集まり極秘会議を開きました。

 

 メンバーはアメリカの政治家、ネルソン・オルドリッチを始め、

エイブラム・ピアット・アンドリュー(連邦財務次官補)、

 

ポール・ウォーバーグ(クーン・ローブ商会のパートナー)、

 

フランク・ヴァンダーリップ(ナショナル・シティ銀行頭取)、

ヘンリー・デイビソン(JPモルガン商会のパートナー)、

チャールズ・ノートン(JPモルガンのニューヨーク・ファースト・ナショナル銀行頭取)、

ベンジャミン・ストロング(バンカーズ・トラスト社長。JPモルガンの代理)

 

でした。

 

 当時の新聞記者たちは世界最大の銀行家5名が同じ列車に乗り込む異様な光景を見て大騒ぎしましたが、その目的はその後数年間明かされることはありませんでした。

 

 彼らの目的はアメリカの通貨発行権を独占する中央銀行の設立でした。

 

 この会議の後オルドリッチ共和党上院議員(ロックフェラー家の親族)が設立の法案を議会に提出しましたが、民主党の反対に遭い否決されました。

 

 すると、今度は共和党が駄目なら民主党からと言わんばかりに、民主党のウィルソン議員を当選させるために一工夫しました。

 

 当時、共和党ではタフト大統領が非常に人気を集めていました。タフト大統領との一騎打ちではウィルソン議員に勝ち目はないため、共和党で票を割るために、モルガン一族の傀儡であったセルドア・ルーズベルト元大統領をわざわざ担ぎ上げました。

 

 この結果、見事に共和党は票が割れ、思惑通りウィルソン大統領が誕生しました。

 

 ウィルソン大統領が就任すると間もなく民主党は「オーウェン・グラス法案」を議会に提出しました。それは中央銀行設立の法案で以前廃案となったオルドリッチ大統領の時に提出した法案の名前だけ変えたものでした。

 

 すると今度はクリスマス休暇ということもあり、ほとんどの議員が帰省中であったためあっさりと可決され、ウィルソン大統領が署名を済ませると銀行家による私的な中央銀行がアメリカで誕生してしまいました。

 

 晩年、ウィルソン大統領は「騙されて法案に署名してしまった。うっかりこの国を滅ぼしてしまった」と悔やんだそうです。

 

 

FRBの中枢はニューヨーク連邦準備銀行

 

 FRB(連邦準備制度理事会)は全米の主要都市に散財する12の連邦準備銀行を総括する組織です。

 

 この中で最大の銀行がニューヨーク連邦準備銀行であり、アメリカの通貨の発行量と金利の決定などの金融政策は実質的にニューヨーク連邦準備銀行が取り仕切っています。

 

 FRB設立の翌年1914年、ニューヨーク連邦準備銀行は株を発行し、その株はナショナル・シティバンク、ファースト・ナショナル・バンク、ナショナル・バンク・コマース、チュース・バンクなどの民間銀行が取得しました。

 

この民間銀行の株主をさらにたどると、

 

ロスチャイルド銀行(ロンドン・ベルリン)

 

ラザール・フレール・パリ(ロスチャイルド財閥の銀行、現ラザール)

 

イスラエル・モーゼス・シフ・イタリア(ロスチャイルド財閥の銀行)

 

ウォーバーグ銀行・アムステルダム(ロスチャイルド財閥の銀行、現M・Mヴ

ァールブルク&CO)

 

ウォーバーグ銀行・ハンブルグ(ロスチャイルド財閥の銀行、現M・Mヴァールブルク&CO)

 

リーマン・ブラザーズ・ニューヨーク(ロスチャイルド財閥の銀行、2008年に破綻)

 

クーン・ローブ銀行・ニューヨーク(ロスチャイルド財閥の銀行、1977年リーマン・ブラザーズに統合後アメリカン・エクスプレスに買収された)

 

ゴールドマン・サックス・ニューヨーク(ロスチャイルド財閥の投資銀行)

 

チェース・マンハッタン・ニューヨーク(ロックフェラー財閥の銀行、現JPモルガン・チェース)

 

です。

 

 つまりFRBの実体、ニューヨーク連邦準備銀行の株はロスチャイルド財閥の銀行がそのほとんどを保有しているのです。

 

 チェース・マンハッタン銀行のみロックフェラー財閥の銀行ですが、民間銀行であることに変わりはありません。驚くべきことにアメリカ政府は一株も保有していないのです。

 

 アメリカ経済の安定と称して設立された中央銀行は、民間人の資金で設立され、その運用も民間人に委ねられた完全な私有企業なのです。

 

参考文献:THINKER署「マスコミとお金は人の幸せをこうして食べている」徳間書店(2011)

参考サイト:「1907年恐慌」『ウィキペディア フリー百科事典日本語版』

( 1907年恐慌 - Wikipedia )最終更新 2021年9月14日 (火) 01:18日本時間 アクセス日時2021年10月12日 (火) 07:26日本時間