色々精神分析とか
学んだ結果でわかった生きるヒント
みたいなもの。
人は幸せになるために生まれるとか
幸せにならなきゃとか??
そんな事を思い浮かべながら
若い頃生きてたっけねぇ、と。
でも、人生折り返し地点…の今
(いや棺桶のが近い地点?)言える結果は
幸せになるために生きるんじゃなく
何が自分にとっての幸せかを知る
ために生きてるんじゃね?
という結論。
その実感が出てきた日から、
めちゃくちゃ楽になりました
わりと幸せなんすよ。
ルセラフィムの
この曲、私もむっちゃ好きです。
世界がどうあれ、
自分にとっては何が幸せかを
早くに気がついて知っていた人たちは、
わりと夢も日々も願うとおりの人生
等身大の幸せを
着実に生きてるんですよね〜
学者になりたい
女優になりたい
アナウンサーになりたい
あったかい家庭つくりたい
深いこと考えずに甘えていきてたい
どんなカタチであれ
ほんとにどんなに時代なり環境が
かわったとしても、
揺るがない自分の価値に気がついた
人はすごいと思う。
「私の幸せはなんだろう?」
って楽しそうだった。
どんな困難の中にも
必ず自分にとってのポジティブが
ほんとにあるんだなぁと思う。
↑の歌詞♡
どんな時でも必ずそれはある。
自分にとっての「価値」は、
他人に委ねてたらわかんないよね…
お金も名誉も貰えなくても
価値がある、とかはなかなか見つめ
たくもない場合が多いし
私はお金にはまーったく
ならないものが幸せだったんだけど
そんなもんだよね。
三世代かけて人生は完成する、とか
実現するものだーって話を
昔聴いてたけど。
社会が心理学や自我を否定してるから
ってだけ…かもね。
といいつつ、
祖母はきっと私と同じ世界をみてた、
だろう。
父はずっと病に臥してた祖母のために、
騙されたりしてきた祖母の優しさ
を守りたくて、
人を信じすぎず、頼らず勉強したり
お金をつくれる生き方をしたかったから
愛を否定しがちになった。
でも、
父が否定したものを私は父ごとまるっと
肯定したかった。
父は間違ってないよ、と
説明したかった。
たぶん「あるもの」は自分にはあたり
前すぎてみえにくいから
なんだなーとしみじみ思うよ
父が天才的にできたことは、
私が天才的に苦手なこと。
私が天才的にできることは、
親をなんとかしたいから身につけたこと。
そういうことよね。
そいや、義母娘やるんですね〜
義母娘の「義母」の言う言葉が
もう父にソックリすぎて笑っちゃうん
だよね