ここあがもう危ない状態になった6月中旬
自分のためにしたことは、
「プレイリスト」をつくるだった。
意識をなくしていくとき、
痙攣が始まったとき、
ずっと支えてくれたプレイリスト。
そのプレイリストを
今も涙を飲み込んだ分だけ、
取り出して聴く。
お風呂の中だと🛀
とてもリラックスできる
聴いてるうちに泣く。
泣く、泣く、泣く、そしてまだ泣く。
それがルーティンにもなっている。
音で感情を記憶したり、
排出するタイプなんじゃないか?
そう、小学生の頃音楽の先生に言われた。
校歌や朝の音楽朝会の伴奏をしてたんだけど
つい弾いてると泣いたり怒ったりが自然に出てしまって
何人かに伝播しちゃったことがあったらしい。
その時からだったと思うけど、
自分自身でも感情をなんとかしたい時に
音楽をよく使う様になりました。
音で感情を記憶して、
音で取り出して、音で癒して、
音に昇華することで
なんとか生きてた時間も確かにある。
音楽がキャッシュカードの様な
役割になってた。
湧いてくる感情を感情として出すのが
とても下手だからかな?と思う
言葉ではとてもじゃないけど
間に合わない細かい機微があるし、
語彙を増やせど増やせど
排出が追いつかなくてストレスフルに
なりがちだから…
それに言葉にすると、
とてもじゃないけど攻撃的な感覚部分
があるので言葉にするまでの
「タメ」が増えていってしまう。
もっと楽に出したいやん。
骨壷をみつめながら…
この「骨」を綺麗に繋ぎ合わせて
頑張って肉付けしてここあを再現したら、
生命や魂が吹き込まれたらいいのにとか、
民話の様な願いが頭に浮かんでは
医科学的にも倫理的に無理よ?
と微笑みながら宥めてくれる
もう一人の自分が出てくる様になった。
大人になったんだなーと笑った。
できたら怖いし、
それはそれで嫌じゃんね
プレイリストを流して、
命が消えていく時の私をみつけて
ひとつずつ癒していく時間は
なかなかいいものです♡
私は言葉で何を言われても
言葉の裏の裏をずっと疑ってしまうし
上辺だけの言葉をはくひとには、
警戒心の強い野良猫の様に威嚇する。
だから、音楽の中でゆっくり対話しながら
再現できない「彼」の温度を
記憶の中で感じることで
無意識に自分を癒しているんでしょう。
🦴
「骨を組み立てて、そっくりのものを作るから
魂を返して」みたいな反応が生まれる自分
ものすごく怖い人間と思いながらも、
「これぞ私らしさだな」
と
グロテスクさも含めて
なんか好きだな、と思うのでした。
「無機質」と「振り子」って
私の日々の感情にピッタリ寄り添って
肯定してくれる曲だなーと感じます
🐈