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✨私と決めない私を尊重してあげたい✨
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小さな小さな小暖ちゃんは
どうすんのかな?
って、
ノージャッジで実演するチビを
ハラハラしながら
受け容れながらみてる。
(反社会的なことや危険以外)
頭で彼女への指南を前もって
考えたり叱ったりしなくてもいいんだね。
猫砂踏んだ
「いったーい!!!×10」
「いてぇな、ちっ❗️」
どっちの時もそれでよし!
さ、片付けよう!!
包丁落とした
「こえぇよ!」
「あっっぶねぇぇぇーーー」
「ってか、怪我ないか?
(床に話しかけてた)」
床は少し怪我をしてたので超謝りました
こういうときも
「誰かに叱られる」と体は
フリーズしてたんですよ、ずっとね。
「私の問題」「私の時間」「私の場所」
なのにね。
境界線を破壊されて育ってた証拠なん
だーってわかったんだよある日。
毎回毎回、
声に出す前に頭の中でセリフを
探して、そのセリフすら相手の機嫌が
はかれないときは、
飲み込んでたな!
嘘つきよねー
痛いという自分を押し込めて抑圧の箱に
ぶん投げて…
もっともらしい事だけを出してく。
そうするうちに、
自分の行動を遮断する言い訳する。
そんなことを繰り返してきたんです。
ザ自分潰し
「どうしよう?怒鳴られない?
怒られない?」
と怯えて最適正解の答えを
頭の中で探して過ごしてきた人生の
各場面が降ってきました。
私を抑圧して詰めこんでたんよね。
私といいつつ、
行動は
「私じゃない誰かのトレース」
やんね。
私が私を殺してきたんだった
正解がないのが人生
が腑に落ちて受け取れるまでは、
ものすごく不安だったし、
怖かったの…。
でも、わかったの
「私のナチュラルは
ナチュラルって思わないことの中にあるな」
って。
型がないのが私じゃん![??](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/096.png)
毎日毎分毎秒みて統計を取って
「こういう私」がいたとしても
目の前は、また違う選択をするかもしんなくて。
それを許可する私でいてあげたいのよね
と、思えた頃にね…。。。
偶然同じようなことを
書いてある作家さんの本に出会い
ちょっと感動したのでご紹介♡
これからも
ねぇねぇ、わたしはどう思う?
と対話しつつ、
その私のどんな答えも受け止められる
自分でいたいと思います。
「ま、いいんでない?
やってみて、だめだったら
そりゃだめなんだってだけなんだから
体験して教えて♡」
「怖いね、怖いね!
でも、やってみようとするの
偉い!!愚痴も泣き言も楽しみに
してるからやって感じておいで!!」
って声をかけながら自分の背中
押しています
あとあと、さっきみつけたよ
アニメロさんが
アップしてくれたのありがたいっ
この曲の「冷静な顔の奥に
おそれを秘めてるくせに平気って
いうから、せめて理解者でありたい」
って歌詞がすごく好きでね。
小さい頃に父の顔をお膝から
見上げながら
いつもわたしが思ってたこと。
隠してるけど、小さな非言語、
足元や表情の小さなところに
「怖いよ」がみえてたんだー。
今は
自分が自分に
そして
誰かが自分にもそう思ってて欲しいな、
と思います
わたしは、
大切な他人には毎回
そうしてるから…
沙也加ちゃんもそう思っていたのから
彼女の書く歌詞は、
私の心に今もいつも響いてるのかなぁ。
さくっと閃いたのメモろうとするも、
なんやかや長くなってしまった🤎![カップケーキ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/250.png)
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