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この本を手にとったのは「水澤さん」の名前
があったからでした。
私は昨年この水澤さんの本で
氷を顔につけられたかのごとく目覚めた。
昨年のブログにあります。


自己愛性人格障害のひとの生きにくさと
この「依存家庭」の関係性が見えてきていて
母性とされるはずの女性が精神的自立を
しないまま結婚出産することで
男性の人格障害が生まれている
と思ったのですが…

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本を読みようやく心理的依存のカラクリが
理解できたから。

そして
今回も間違いなかった。
読みおわったとき
私は「こころに刺さりすぎて」
涙があふれて止まらなかった。

なんとかしたい。あのひとやあのひとに
(もちろん私も多分にありますが)
とはいえ彼ら自身彼女ら自身が求めていない
事は私には出来ないのだけどね。

悪いことではないので
怒らないで聴いてほしいという思いが
生まれました。

自己愛性人格障害の方に私はとにもかくにも
とにかくよく付き合ってもいないのに
抱きつかれる
突然懐かれる宿命がある。


今までは遮断してきた。
でも「この子」たちをなんとかしたいと
思ってしまったのだ。

日本は元々役割がしっかりわかれていた。
日本男児って幼いものである。
それを変に頭でっかちに
欧米化することで双方の負担が増え
特に「子供が子供でいる時間」を失わされる結果に
なっていたのだ。

社会学的にみるならば
日本はもともとが全体型ではなく
詳細に仕分けされた社会として成り立っていた。

男性が経済的自立主に担う。
女性が精神的自立主に担う。

このバランスで家庭が経営されていた社会が
元来の日本文化だった。


なのに
「経済的自立」を女性が持つようになったとき
から流れが変わり
自立イコール経済的自立という意味に
すり替えられてきたのだ。
(それも単なるフェミニストの感情論である。
男性に負けたくないかたたちか
父親と闘いたいエディプスを持った娘たち。)

↑↑

これ娘たちも被害者なんですよ。
母親に「パパみたいになれ」とか真逆に
「あなたは私みたいにパパに屈服させられない様に
お金を自分で稼ぐのよ」と育てられてるので。


その子がその子であり
子どもらしくあることより
親の役に立つ何かを求めすぎた

なのでは?

親は子どもに与えるものであり
子どもはただ精一杯生きて成長するもの


それだけのことなのに
「何か」の為に子どもを産むから
変になる。


そのあたりをまた次に

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続く