言い古された言葉ですが、「継続は力なり」と。
ここ数年、継続しているものに、俳句、『万葉集』、『源氏物語』が
あります。
俳句、 『万葉集』は、それぞれ学びの拠り所となる教室がありま
すが、遅々として進まないのが、独学による『源氏物語』。
よく知られているように、 『源氏物語』は、平安時代中期の長編
物語で、紫式部の作。
当時の宮廷生活とその周辺を描くとともに、主人公の光源氏を
中心に幾多の才媛を配して、その華やかな生涯を描いています。
人によっては、光源氏は単なるプレイボーイであり、女性遍歴を
描いただけのものだと、 一蹴する人もいますが、それは現代の
風俗・制度にあてはめて、俯瞰したもの。
前提となるのは、当時の貴族社会が一夫多妻制度であり、結婚
は男性が女性のもとに通う「通い婚」であったことで、それを忘れ
ては語れません。
『源氏物語』は、 現代では、さまざまな恋愛と運命的な人生のう
ちに、貴族社会の苦悩を摘出したところに価値があるとされ、世
界的な文学として広く読まれています。
しかしながら、なにぶん、54帖からなる長編。
光源氏の恋愛関係が中心で、栄華の絶頂に立つまでの青壮年
期を描く第一部、 運命の悲劇に苦悩する晩年を描いた第二部、
光源氏の死後、子の薫が信仰と愛との矛盾に苦悩する姿を描く
第三部で構成されています。
校注・訳つきのものや作家による現代語訳のものなど、 いろい
ろな文献が世に出ていて、なんとか第二部までは、通読。
現在、立ち止まっているのは、作中人物によって詠まれた、795
首もの和歌の存在。
平安時代後期から鎌倉時代初期の公家・歌人の藤原俊成は、
「源氏見ざる歌よみは遺恨の事なり」と述べています。
次なる年は、和歌の一つ一つから『源氏物語』を読み解こうと思
っています。
とは言え、当時の歌はコミュニケーションのツールとして使われ
ていたため、ほとんどが、感情そのものを表したもの。
たとえば、「桐壺」の巻の次の歌。
かぎりとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり
(今を限りとお別れしなければならない死出の道の悲しさ、何と
かして生きていとうございます。)
帝の寵愛を一身に受けていた桐壺の更衣が、病に冒され、幼い
光源氏を残したまま、死出の旅に赴くときの、帝に宛てた歌となっ
ています。
どうやら、『源氏物語』は生涯学習となりそうです。
[今日の一句]
・隈取りて蜜柑頬張るちんどん屋
近時、見かけるのが少なくなりましたが、かつては、年末商戦と言
えば、ちんどん屋が欠かせませんでした。
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