俳句エッセイ 悔やまれること | 俳句のとりな

俳句のとりな

俳句を愛するかたとともに

 

「死」は、ある日、ある時、突然に。

 

長い間、句会を共にしてきた句友が、この5月に逝去。

享年、84歳でした。

 

若い頃には、陸上をされており、元来健康とのことでしたが、晩年、

病に倒れて入院。

 

元気になったら、また句会に参加するのだと楽しみにしておられた

とのことですが、果たされずじまいに。


傾倒し、まとめておられた『奥の細道』関連の論文も日の目をみる

ことはありませんでした。

 

次は、その句友への追悼句。

 

・斑猫や笑顔やさしき朋の逝き

 

この句に、なにか引っかかるものを感じながらも、あるコンクール

に応募。


しかしながら、結果は、敢え無く落選。

 

俳句をされている読者なら、すぐに、ぴんと来たことと思われます

が、悲しいかな、当の作者は落選の報があるまで、その理由に気

づかずじまい。

 

あまりにも思い入れが深いために、他人の句であったならば、

座に指摘していたと思われる点が、客観的に見ることが出来なく

なっていたものと思われます。

 

普段から、甘くなるからと「父」や「母」さらには「孫」を隱すことに、

やっきになってきた筈なのですが。「朋」も、しかり。

 

なにか引っかかるものを感じていたのは、「やさしき」という措辞。


ここまで言わずに、鑑賞者に想像させる余地を残しておかなけれ

ばならないというのは、俳句の基本中の基本。

 

推敲しなおして、あらためて、亡き朋に捧げることに。

 

・斑猫や笑顔たやさぬ朋の逝き

 

合掌。

 

[今日の一句]

 

・雨風に背筋正すや冬薔薇

 

[更新ブログ]

 

着地に注意を
https://ameblo.jp/originalk/entry-12515821317.html