取り留めも無いですが最近思ったことを書き留め。


そもそも根っから悪い人間なんてそういません

自分を煩わせて、自分にとって許容量を超えている時点でその人は「悪い人」なのです




大阪で起きたプロデューサー殺傷事件の犯人

私達から見れば筋の通ってない理屈で人を殺しているけれど

彼にすれば衝動ではなく、大きな意思に突き動かされてしたことで。


犯罪心理学を多少なりとも齧った身としては単純に犯人が憎いとか何て馬鹿な…とは思えないのです。狂ってる!だけで済む問題でもなく。彼にとっては(自己を認識できていたかどうかは別
にして)必ず正当な(自己を正当化できる)理由に突き動かされていたはずです。 - 続)

自分で死ぬのが怖いから人を殺めて、自分も死刑になりたい”は彼にとって整合性の取れた理由です。もちろん僕ら他者にとっては全くナンセンスな理由なのだけど、そこを取り上げて悔しがったり気分悪くなったりしてもどうしようも無い

また同時に「ひどい世の中になった」とかも思えないのです。多分ずっと人の世ってこんなもので、歴史的に考えればずいぶんマシになってると思うので。


6月11日 Masahide Sakuma ‏@masahidesakuma Twitterより引用




自分で死にたくなかったからって人殺すか?というワイドショー的常識で裁いてはいつまでたっても犯人の心情は理解できない



こうして、法を犯せば悪人と世間に認識されやすいかもしれませんが


回りにいる嫌われる人、嫌いな人、自分を煩わせる人に完全な「悪人」はいないのがTrickeyなところです


そういう意味では犯人のように責められず、職場やサークルの中の人であれば簡単には逃げられず

刺されたりして傷を負うよりも生き地獄かもしれませんね


身体に残った傷は癒えますが


心についた傷はなかなか癒えないし、そもそも傷つけられてることに気づかなかったり耐えてしまう

そして何よりも、目に見えにくい。


こっちの方が重要視されるべきと思うのですがね。




去年までの私は、どうにかして1人でもいいから助けたい。ここで出会ったのも何かの縁なんだろうから

なんて思っていました。


メンヘラだなと思うことか、なんか変な子だな、と思う人とか。

恋愛関係でもココらへんの区別ができていない人が時々見受けられて、相談に乗ったりしていますが


最近気づいたのは


私に助けられるくらいの傷なら、とっくの昔に救われてる


ということです(-。-;)


状況が良くならなくて逆に斬り返しに遭ったりして毒ついてるくらいなら、最初から静観していればいいのだなと気づきました


そんな27の春。。。。