きっと僕だけが違和感を持っている。
達也や夢路は、当たり前のように僕の存在をここへ置いてくれた。
特に親切心や同情心を思わせることもない。
なんか変だ、きっと血縁者とも違う雰囲気があの二人には漂っているんだ。
「達也さんって何してる人?」
高校から友人になった宵が休み時間、DSに指を忙しそうに動かしながら、僕の「あの二人結婚するんだって」というつぶやきにそう返してきた。
「さあ?会社名とか聞いたことないし。でも技術職じゃないのかな?よく家の家電を直したりしてるし」
1限前に買って机に置きっぱなしの紙パックジュースを吸いながら、窓から見える空に答える。そういえば、二人のこと、なんにも知らない。
「結構収入いいのかな?高校生一人養うのって安くないよな・・・ああっ!」
どうやらBダッシュし過ぎて穴に転落したらしい、マリオは何度でも再生するからな。つーか、なんで今更マリオなわけ?!もっと他にゲームあるだろうが。
宵は高校の友人の中で唯一、僕が里子だと知っている。僕の両親は、1年前に失踪した。理由はお金なんだろうと思うけど、僕としてもうこの世にいないような気がしている。達也は、両親の会社の従業員の一人だった。顔は何度か見たことがあるけど、けして両親と特別な仲ではなかったと思う。なんでいきなり僕を引き取ったのか、未だにわからない。
達也には夢路という彼女がいて、もう付き合いは10年ぐらいになるようだ。引き取られた時から二人は同居していて、何を隠そう一番居心地が悪く感じていたのは僕だった。さすがに高校生ともなれば、一応若い女性が同じ生活空間にいて意識しないわけがない。それとは裏腹に、夢路からはそんな意識は感じられない。
「でも結婚となれば、やっぱお前の居場所は今とは違ってくるよな・・」
ちょっとした不安を言葉にする宵は僕に優しくない。でも変な慰めは言わないのは宵の良さだと思う。
そう確かに、今まで通り同じ場所で一緒に暮らすのかもしれないけど、二人は夫婦になり、一つの家族が出来上がる。いずれ子供も生まれるだろうし。僕だけが、まったくの他人で居候することになる。それについて、二人はどう思っているのだろうか。
「達也さんはずっとあの子を預かっておくつもりなのかしら?」
玄関のノブを回してドアを開けた瞬間に、上品な女性の声が聞こえた。この声は電話で何度か聞いたことのある夢路の母親だ。あー、一番ストレートな話の時に帰ってきてしまった。どうしよう、聞きたいようで聞くとへこみそうだ。
「もちろんよ、なんで今更そんなこと聞くの。
それよりお母さん、そろそろ健帰ってくるんだけど」
「もちろんってあなた、他人の子を預かるってそう簡単なことじゃないのよ。結婚するならこれから子供だって生まれるだろうし、いつまでもこのままというわけにはいかないでしょ」
宵と同じこと言ってる、やっぱり普通は誰もがそう思うもんだよな。ドアノブを持ったまま、僕は結局立ち聞きをすることを決めてしまった。
「今回の結婚の件と健のことは問題にするべきことじゃないよ、あっ今の駄洒落じゃないわよ」
こんなデリケートな話をしている時に駄洒落に取る人なんて夢路だけだって。
「まったくあなたも達也さんも、何も考えてないんじゃないのかしらって私は心配よ。
健君に申し訳ないわ、一番悩んでいるのはあの子じゃないのかしら」
ため息まじりに夢路母は言った。うんうん、確かに僕もそう思う。しかし夢路はその後、確信たる気持ちを言うこともなく、話はどんどん遠ざかり親戚の話へ流れ、ついに近所の犬の話になったので、僕は普通に帰ってきたふりをして家に入った。
「ただいま、あっ夢路さんのお母さん、こんにちは」
何食わぬ顔で挨拶をする僕に、夢路母も完璧な笑顔で返してきた。この笑顔からさっきの発言を想像するのは難しい。やっぱ大人は怖い。
「あら、しばらく見ないうちに男らしくなって!高校生は成長も早いものね」
関心しながらまじまじ見渡す夢路母に、僕は照れながら愛想笑いを浮かべる。
「ちょっとお母さんやめてよ、一歩間違えたらセクハラよ」
キッチンの流しでさっきまで二人で飲んでいた湯のみを洗っている夢路が怪訝そうに言った。
「セクハラってなによ!失礼しちゃうわね!!」
今の発言のどこにセクハラが混ざっていたのか、僕にはわからなかった。夢路母はそれからしばらくして帰っていった。お土産に残してくれた手作り大福をおやつに、リビングのソファに座って、僕は夢路と並びながら再放送のドラマを見ていた。
「ねえ夢路」
ドラマに釘付けになっている夢路に声をかけた。
「うん?」
画面から目をそらさず、大福を頬張りながらとりあえず返事をする。大福の粉がジーパンに零れているのに気づいていない程、今ドラマではいい展開のところだった。
「いつ籍入れるの?」
僕はワイド画面に映し出される俳優はクールでありながら、今必死な表情で崖の上で自殺を図ろうとしている女優に、愛の告白を叫んでいる。普通なら波と風の音で聞こえないんじゃないのか。女性の方も死ぬ気でいるなら、そんな男の告白聞くまでに飛び込むだろうが、って心の中で突っ込んでしまった。
「来週には役所に出そうかと思っているんだけど、達也の予定次第だね。
もう一つ提出書類もあるし・・・」
「婚姻届だけじゃないの・・・?」
「うん、その前に出さなきゃいけない書類があるのよ。役所の手続きは一括じゃ出来ないからめんどくさいんだけどね」
何の書類かって言わないから、きっと僕に関する書類なんだろうか。何の書類って勇気出して聞こうと夢路の顔を見た瞬間、夢路の顔はクチャクチャになって泣いていた。テレビでは、さっきまで自殺しようとしていた女優が、俳優の胸の中で泣いている。愛の告白で死ぬのを止めたらしい。そしてCMが終った時には、なぜだか二人はベッドの中にいるシーンだった。展開早っ!
結局その後、聞くタイミングを逃したまま、達也が帰ってきた。そういえば何の仕事しているのか、聞いてみなければ。
「なんでも屋さん」
荷物を部屋に置き、汚れた手を洗面所で荒いながら無愛想にそう答えた。
「それ冗談?」
「冗談じゃねーよ、本当の『なんでも屋』。
ペット探しとか家の掃除、メーカー保証が切れた家電製品の修理とか。
昨日は小学生の子供のいるお母さんから家族について作文を書く仕事だったな」
あー、なんかテレビでそんな仕事をしている人がいるって見たことあるな。テレビに紹介されていた会社の人は、とっても爽やかでまさに働きマン代表的な顔をしていたのに、同じ仕事をしているとは到底思えない鉄火面・達也。
「それで昨日いきなり家族とはって聞いてきたのね?」
夕飯の支度をしながら、キッチンから夢路が達也に言った。
「小学生の子を持つ母親の気持ちなんて知らねーし。とりあえず子供が産まれてきてくれてハッピーです的なことを書き綴って置いた」
無愛想のままピースしながらハッピーとか言わないでほしい。
家族についてか、今の僕が書いたら?マークだらけになりそうだ。
達也はキャラに似合わず、なんでも人のためにすることが好きなんだろうな。もしかしたら、そんな気持ちで僕のことを引き取ったのかもしれない。それだったら、なんか悲しいな・・・・。悲しい・・・?なんでだよ、他にどんな気持ちで僕を引き取ったんだよ。
僕はしばらく仕事の話をしている二人の間で、自分の気持ちに自問自答していた。
「健、お前さ両親は帰ってくると思うか?」
食後の和やかな時間の中、達也は空気も読まずに突然そんなことを聞いてきた。僕は一瞬、達也から両親という言葉が出てきて動揺した。失踪して1年、警察も誰からも音沙汰がない。僕もこの1年、ここでの暮らしで両親の気がかりは大分落ち着いてしまった。
「帰ってこないと思う、もう死んでいる気がする」
僕の言葉に夢路がテレビを消した。達也は麦茶を飲みながら、足元に置いてあったかばんから書類を取り出した。クリアファイルの中には、家庭裁判所と書かれた封筒が入っている。やっぱり僕に関する書類だ。ここから出ることになるんだろうか。
「ずっとさ、健の両親のこと探していたんだ。今、確認してもらっているところだけど、身元不明者の遺体の中から健の両親を思われる遺体が見つかった」
「どこで・・?自殺なんでしょ」
「東京湾の中で・・・おそらく自殺・・・」
やっぱり両親は死んでいた。本当に僕は帰る場所を失った。なんでだろうか、悲しいけど涙も出てこない。それ以上に気がかりなのは、僕はこれからどうすればいいのだろうか、という漠然とした不安だった。
「鑑識が終れば健のところに帰ってくる。そうしたら葬式をしなきゃいけない」
「いいよ、葬式なんて。そんなお金ないし、自殺じゃ保険おりないでしょ。
それよりも僕はこの家を出ていった方がいいんだよね?」
書類に目を通している達也が僕の突然の質問に顔をあげた。いつもと変化のない表情をしていたが、たぶん驚いたんだと思う。一瞬、夢路の方に視線が泳いだ。
「出ていくって・・・お前行く宛あるのか?」
「・・・ないけど、二人が結婚するならますます僕はここにはいられないでしょ?」
「・・・なんで?」
二人が同時に僕へ問いかけをぶつけてきたので、その勢いに僕は一瞬言葉を失った。確かに二人が結婚したら、僕が出ていかなきゃいけない法律はないけど、二人の中で僕の存在がいつか疎ましさに変わるんじゃないのかと思った。
「なんかさ、お前囚われ過ぎじゃないのか」
テーブルにあったたばこをくわえ、達也はジッポを指で回す。カチーンという音が静まり返った家に響いた。なにかと物の多いマンションでもこんなに音は響くものなのかと思った。それ以上に、達也の「囚われる」という言葉が心にズキっときた。
「いやいや、健は悪くない。健の両親のことがあったから、健には深く言わなかった私達が悪いよね、ごめん。今回のことで、家庭裁判所とも相談の上で決めたんだけど、健を私らの養子として迎えようと思うんだ。もちろん、健の承諾がないと決められないけど」
養子、なんかよくドラマとかで聞く言葉が出てきた。
「養子・・・って二人の子供に僕がなるってこと?」
「まあ、戸籍上はそうなるかな」
煙を口と鼻からこぼしながら達也が答えた。
「な・・・なんでそこまでして僕に・・?」
「なんだ?嫌ならいいぞ、べつに。一緒に住みたくないっていうんならもう少しでかくなったら、自分で働いて一人暮らししてくれ。高校生のお前を一人でアパートに住まわせる程、うちには金はない」
なんか違うよ、おかしいよやっぱり。なんでそこまでして僕を引き取れるんだよ。僕は二人にとって得になるものなんてないじゃないか。
「違うよ、そうじゃなくてなんで僕を引き取ったの?」
ちょっと涙腺が緩み出してきた。やばい、泣きそうだ。なんの涙なのかいまいち理解出来ない前に、涙を二人に見られるのは恥ずかしい。そんなことに気に取られて、思わず心に秘めていたものを達也に言ってしまった。
達也は相変わらず無愛想なまま、たばこを指に挟んで答える。
「なんでって・・・あー・・・そういえばなんでだろうな」
達也が首を傾げた。どうしようもない変な人だ、達也は。
「たぶんお前となら暮らしていけると思ったからじゃないのか」
たばこを芯まで吸い込んで灰皿につぶした。リビングの照明が煙で少し煙くなっていた。
「それだけで養子までしないだろ、普通」
なんか達也のその答えに、ついに涙が一粒僕の拳に落ちてしまった。でもなんだかその涙は温かくて、けして悲しい涙ではない気がした。
「だってよ、いろいろとめんどくさいんだよ学校の書類とか。なんで千葉に住んでるのに、本籍が熊本なんだよ。今回の件だって謄本取るのに、熊本の役所まで頼んだだぞ。個人情報保護法ってなんじゃ、このやろう」
「確かに」
どこかのタレントみたいに頷かないでくれる?夢路。めんどくさいって・・・僕の存在はめんどくさいがために、養子なのかよ。やっぱりこの二人わけわかんねーよ。
「まあそういうことで、これからは志村健として学校も病院も行くことになるから」
にやっと笑った達也に、夢路はぶっと噴出した。そうだった、達也の苗字は志村だった・・。明日宵にきっと声にならない笑いの洗礼を受けそうな気がするんですけど。でもなんだか笑われてもいいかな、なんてこの時ばかりは思ってしまった。
終わり