今僕の目の前には、とてつもなく強大な敵が立ちふさがっている。そのあまりにも禍々しい気迫に、僕はいつもくじけそうになってしまう。
 だが、僕はこんなところであきらめるわけにはいかない。これが僕に与えられたものだというのなら、ありのままに受け止めて立ち向かって見せよう。
 その、強大な敵とは……誰しもが必ず通らなければならず、乗り越えなければ先に進めない物だ。
 皆はそれを、「テスト」と呼んだ……
「あーあ、勉強しなきゃなぁ」
 僕は誰に言うでもなく、自室のベッドの上に寝転がり呟いた。今中学生ならおそらく全国単位で期末試験期間真っ最中。しかも試験まで後三日、恐らくほとんどの生徒がこれからの未来のため、はたまた部活に支障をきたさないため、勉学に励んでいる事だろう。
 だが、僕は皆大好き帰宅部なのでこれからの活動というものは何の影響も受けないし、高校受験もまだ中学二年生だから頭にすら入ってないから別に点数はどうだってよかった、はずだった。
 それもこれも、この間行われた中間試験の結果が発端だった。今までは赤点ぎりぎりで通してきたのに油断したのか一教科だけ赤点を取ってしまった。そして、その三日後に追試を受けるはめになってしまったのだ。
 いくら点数が低くてもかまわないといっても、追試を受けるまで低いのはまずい……なぜならそれは、追試を受けるのが面倒くさい、ただそれだけの事だ。
 追試は面倒くさいから受けたくない、だけどそのために勉強するのも七面倒……なかなか気が進まなかった。まぁそのせいで試験まで後三日となった今日まで遊んでばかりいたのだが……
 試験は全部で九教科、そのうち八教科は別に勉強しなくても赤点まで低かった、なんてことはない……問題はその残り一教科である「社会」だ。
 「ヤツ」はただ暗記するだけで点数が取れる教科だと、社会の先生がいっていたが、事はそれほどに単純ではないのだよ。
 まず暗記する範囲が半端ではない。誰が好き好んでこんな量を暗記せにゃならんのだ。それに覚えたところでこれからの人生で使う事なんてほとんどありはしないじゃないか……だから僕は他の教科以上に、社会が嫌いなのだ。
 当然、僕がどんなに社会が嫌いだと叫んだところで何の解決にもならないし、追試がなくなるわけでもない。あーあ……どうやったら楽できるものか。
 まぁ、いくら考えたところで答えなんて出るわけないし……パソコンでもするかな。いつもどおり、某有名動画投稿サイトで適当に動画見て寝るとするかな。
 そう思って僕はいつもどおりにブラウザを立ち上げた時、トップページの某有名検索エンジンサイトの最新ニュースの一文に目が止まった。

「ん? なんだこれ」
 最新ニュースの中の一文、それにはこう書かれていた。
『昔懐かしの勉強器具特集』
 僕は時々こういった今興味を引く物を先に見ていくことがほとんど日課になっていたので、今回も例に漏れることなくそのページを開いた。
 まぁ確かに昔といえばそれほど脳についてのメカニズムが曖昧なせいなのか、いろいろと試行錯誤されたものが多い。そう思いながらページを見ていたときに、一つの器具に釘付けになってしまった。
 それは、「睡眠学習」と呼ばれるものだった。そのページによると、睡眠学習とは、英会話や暗記したいものをラジカセ機能がついている枕に仕込み、寝ている間にいつの間にか覚えてしまう、というものだった。
 最初はとても胡散臭いとも思ったし、今流行っていないということは効果が発揮されないから廃れた物だと思った。だけど寝ながら覚えらる、というとても魅惑的な誘惑に僕は、睡眠学習というものを片っ端から調べていった。
 まぁ片っ端、といっても試験まで後三日。あまり時間をかけてられない僕は、ある程度かいつまんで調べていった。
 そして調べる事約二時間調べてわかった事は、まず必要な物は、声を録音できるものと、寝ている間でも耳から落ちないヘッドホンまたはスピーカー。
 やり方は覚えたいところを自分の声で録音していき、寝ている間にそれを流しっぱなしにする。たったこれだけでできるらしい。
 もうすでに流行がすぎていった産物だから、てっきりやり方がとてもややこしかったり難しかったりするものだと思っていたが、結構簡単なんだな。
 早速僕は次の日の放課後から行動を開始した。試験まで後二日だが、問題の社会は試験三日目、あと四日余裕があるのだ。それまでには覚えなければ……
 まずは近くの電気店へ向かい、録音するためのラジカセと録音する媒体、声を入れるためのマイク、寝ていても耳から離れないヘッドホンを購入し、急いで家に帰り、早速声を入れる事にした。
 録音事態はとてもスムーズに行くと思っていたが、いざはじめてみるといろいろと弊害が起こり始めたのはいうまでもない。まず朗読、なんていう今時小学生でもするのかどうか怪しいことをいまさらになってやる、しかも暗記する量が途方もないので途中途中台詞をかんでしまうたびにやり直す破目になってしまう。
 おまけに結構大きい声じゃないと聞き取れないせいで、途中で親に聴かれた瞬間、
「純一、なにしてるの? そんなに大きな声で」
 という会話が入ってしまいやりなおし、を何度も繰り返す。
 途中で何度も何度もあきらめそうになった。いつまでもこんなに恥ずかしいことはしたいとは思わない。けど、この恥辱を耐えしのぎ、全てを終わらせる事ができれば、僕の社会の試験は軽く突破できる。今の僕にはそれが唯一の支えだった。
 そして全ての試験範囲の録音が終了したとき、時計の針はすでに朝方の4時を差し掛かっていた。僕の戦いは、とりあえず山を越えたといっても過言ではないだろう。後はこの録音した媒体を聞きながら寝るだけだ。僕は早速ヘッドホンを頭につけて、ラジカセを再生させて、横になった瞬間、意識が遠のいていった。

 そして、運命の日。社会含む、期末試験二日目。
 僕は、今までにないほどの自信をつけて、今日という日を迎えた。いままでこれほどに自信のある僕を実感できたことはあっただろうか……いや、なかっただろう。
 心なしか、今朝は目覚めもとてもよかったし、頭もかなり冴えてる気がする。これは社会どころか、他の教科の試験もかなりの高得点が期待できるかもしれない……流石にそれはないかもしれないが。
 後は試験開始のチャイムが鳴るのを待つだけなのだが、こういうときに限って時間が来るのが今までよりとても早く感じてしまう。今までなら少しでも勉強して、覚えなければと教科書やノートを凝視しているうちに、何時の間にか目の前に答案用紙が渡されていたのに……今回の僕は一味違うという事が実感できる瞬間だ。
 周りを眺めてみれば、まだまだこれからだと教科書やノートを凝視している奴らばかり……全く、僕みたいに事前から対策をしっかりとしていれば、今慌てる必要などどこにもないというのに、哀れな生徒達だ。
 まぁ少しは僕みたいにのんびりと試験が来るのを待っている連中もいるが……今の僕には、到底及ぶ物ではないだろう。試験はまだ始まらないのか、長いなぁ。
 と思いながらの、自分的にはかなり長かった三十分後、追試試験を賭けた戦いが、ついに幕を開けた。

 ――今思えば、それが切っ掛けになったんだろうと僕は思う。くだらない理由だと、自分で勝手に嘲笑してみる。目の前には膨大な量の本が、机の上に山積みになっていて、かろうじて空いているところは、書いている途中のレポート用紙が広げてある。今度披露する論文だ。
 あの「睡眠学習」から、もう既に三十年。僕はあれから脳のテクノロジーに興味を引かれ、現在では学者として、研究の日々を満喫している。
 そのきっかけとなった社会の試験、点数は赤点どころか、クラスでもトップクラスの成績を残した。赤点にはならないとは思っていたが、なぜこんなにも好成績を残せたのだろうかと少し疑問に思い、改めて細かく調べてみると、共通していることがあった。それは、録音する段階でおぼえてしまったのではないか、とういことだった。
 なんということだ、僕は楽して覚えて追試を免れようとしたが、結局は苦労してとった結果だということに気づいた。
 だが、同時に、なぜ嫌いな教科のはずなのに、こんなにもすんなり覚える事ができ、地道に積み重ねるよりも効果があったのか、という疑問を抱き始めた。というのが始まりだった。
 だけど僕はそのせいでこのような人生を歩んでいるということを後悔はしていない。今まで、特になにかしたい事や夢を持っていなかった。これからの未来、とても暗くて、何も見えなかった。そんな時に理由はともかく、自分が興味を持った事を、こうやって見つける事ができた。これが、僕の歩むべき道なんだと。
 さて、論文の続きだ。これを公表したら、全世界は驚愕の渦に巻き込まれる事だろう。そう考えたら休んでいる暇も無い。
 そう思いながら、僕は改めて机に向かい、鉛筆を走らせ始めた。

                         おわり