都内某所の中学校。
普段は騒がしいこの中学校も放課後の現在、閑寂とした空気が流れている。聞こえてくる音といえば、グラウンドで活動している運動部の掛声。
「依頼だよ」
人一人居ない教室の一角で退屈そうに窓枠に肘を付いている彼――山瀬徹の背後から声が湧いた。
「で、内容は何だ?」
その声に振り向きもせず、彼は素っ気なく返事を返した。
その態度に話しかけた彼女――小川綾子は露骨に悲しそうな顔をする。しかしそれはグラウンドに目をやり続けている彼には見えない。やがてそれに気づいた小川は表情を元に戻して彼が座っている席の前に腰掛けた。
「ちょいちょい……随分冷たいね」
「お前が呼んだんだろうが。呼んだ奴が遅れるってどういう量見だよ」
「あ~ごめんごめん。ちょっと野暮用でね……」
へらヘラと笑いながら謝罪する小川を暫くジト目でねめつけていた山瀬だったが、やがてはぁ、とため息をついて口を開いた。
「で、改めて聞くが内容は?」
「相変わらずだね。まぁ、君のそういう所嫌いじゃないけど」
「くだらねぇ。さっさと話せ」
彼女のジョークをあっさりと切り返し、再びグラウンドに目をやる山瀬に小川はやれやれと肩を竦めて話し始めた。彼女の話によると依頼主はエアガン部部長藤堂という男子生徒で、依頼内容は山瀬に助っ人として今日の夜行う競技に参加して欲しいとの事。
「で、人数は?」
「五対五のチーム戦だよ」
チーム戦という言葉に山瀬は嫌そうな顔をした。眉間に皺が寄る。
「面倒くせぇな……」
「はいはい、文句言わない。で、ルールを説明するね」
そんな彼の態度に馴れているのか、尚も嫌そうな顔をしている山瀬に構わず小川は続けた。
ルールは簡単。お互いのチームは教室側と特別教室側に分かれ、
お互いの旗を奪い合うというものだ。その際旗は校舎内ならどこに置いてもいい。
「使用する武器は?」
「部活名で分かるでしょ?銃よ」
「分かった。で、他には何かないのか?」
「うん。特にはないね。で、依頼受ける?」
その言葉を無視して山瀬は先程の溜息とは違う溜息を吐いた。
面倒臭そうに頭を掻いた後、席を立つ。
「あ、ちょっと待って!返事は?」
後ろから飛んできた小川の声に立ち止まった山瀬は振り返らずにこう言った。
「当然、受けるに決まってんだろ。仕事はきっちりこなすタチでね」
その顔には笑いが浮かんでいた。

同日深夜。
指定された教室に山瀬が入ると場違いな迷彩服に身を包んだ四人の男達が彼を出迎えた。
「あなたが助っ人の人ですか?」
その中の一人――今回の依頼主である藤堂薫が山瀬に歩み寄って来た。にこやかな笑みを浮かべた藤堂は彼の目の前まで来るとさっと右手を差し出す。
「ああ。そうだ。……で、何の真似だ?」
「いや、分かるでしょ?」
山瀬の怒気を込めた言葉をするりと受け流し、藤堂は右手を差し出し続ける。顔には相変わらず微笑。まずい。あちらのペースに引き込まれている。そう思った山瀬はその手を無視して本題を切り出した。
「で、作戦はどうなってんだ?」
差し出された手を無視された藤堂は困ったように笑うと、元の表情に戻って黒板に張りつけられているこの校舎の簡素な見取り図を指差した。椅子に座っていた他の部員たちも黒板を見る。
「作戦は単純です。旗を守る班と相手側の旗を探索する班に分かれて作戦を行います」
この中学校には四階建ての校舎が向かい合った状態で二つある。
一つは生徒達の教室がある棟。もう一つは特別な授業などで使う特別教室。事前に小川からルールを聞いていたため山瀬は容易に作戦を理解する事が出来た。もっとも物事が瞬時に理解できなければ助っ人業など到底務まらないが。その思考の間にいつの間にか教壇に移動していた藤堂は二つある建物の内の一つ、いま彼等が居る棟を指差す。ここは生徒達の教室がある棟だ。
「ここが僕達の陣地です。旗はここに置きましょう。何か意見は?」
誰も答える者が居ないためそれを肯定と受け取った藤堂は話を続けた。
「で、今回使用する武器はハンドガンのみ。使用する弾丸はゴム弾です。当たっても痛くはないので」
そう言って藤堂は教室の中央に位置する机に置かれた人数分の武器を指差した。それともう一つ。
バスケットボール程の大きさの物体。
「ちょっといいか?あれはなんだ?」
その物体に興味を示した彼が手を上げた。全員の視線が一斉に集まる。藤堂は微笑を深くして答えた。
「ああ、それですね。それは頭上に取り付けて使用する物です。僕達はバルーンと呼んでますけど。ゴム弾が当たれば中に入っている赤色のペイントが出ますので」
「それが出た場合は?」
「当然失格です」
周りから失笑が漏れたが、山瀬の一睨みによってすぐさま沈黙させられた。ただ一名藤堂を除いては。藤堂は何事もなかったかのように話を締めくくった。
「ではそろそろ時間ですし、僕達も準備しましょうか」
その言葉に山瀬を除いた全員が頷いた。

「で、何で俺がお前と一緒なんだ?」
ハンドガンで辺りを警戒しながら山瀬は隣で微笑を浮かべている藤堂を横目で睨んだ。
「いやいや、一度山瀬君と組んでみたかったんですよ」
睨まれた本人はと言えば相変わらず笑みを絶やさない。
ふざけているように見えるがそれが藤堂の素なのだろう。その様子にため息をついた山瀬は右耳に取り付けた小型無線を無言で指差した。これで会話しろ、というアピールだったのだが、藤堂は残念そうに眉を沈めて頷いた。
(緊張感のない奴……)
山瀬は心の中で思った。本来この手のゲームは冷静さと緊張感を要求されるのだが、この藤堂という男にはそれが感じられない。
ではなぜそんな男が部長を務めているのか?
山瀬はその理由を考えようとしてやめた。そもそも自分は助っ人で呼ばれただけであって、そこまで深入りする必要はない。
『ちょっと、待ってください……』
そんな藤堂がいきなり自分の横腹を小突いてきたのだから山瀬は彼を睨もうとしてはっと息を呑む。微笑を浮かべていたその表情が真剣になっていたからだ。
『お、おう。どうした?』
その変化にたじろきながらも、無線越しに返答した山瀬の前で彼は手近な柱にぴったりと身を寄せた。この階は特別棟に繋がる連絡通路。藤堂は無線越しに指示を出す。
『山瀬君は階段上から攻撃を仕掛けてください。僕はここから攻撃を仕掛けます』
戦略の基本は高所を取る事。と、いう事は敵も味方も二階にある連絡通路よりもこちらの連絡通路を使用するわけで、どちらが先にここを取るかで戦況が変わってくる。
(ああ、そう言う事か……)
その意図にようやく気付いた山瀬は階段の踊り場へと向かった。
そして無線に呼びかける。
『どちらが先に攻撃する?』
『敵は三人。こちらに向かって来ているので僕が一人をやりますから、山瀬君はもう二人をやって下さい』
『あいよ~』
山瀬が気のない返事を返したのとドアが荒らしく蹴破られた後、銃声が轟いたのはほぼ同時だった。
「!?」
山瀬が慌てて階下を見やると、確かに敵が三人居た。
全員が迷彩服を着込み、手にハンドガンを持っている。一番最初に入ってきたと思わしき男は既にバルーンを撃ち抜かれていた。
さすが部長を務めるだけの事はある。後の二人は踊り場でもう一人は向いの柱に隠れて射撃している。どちらも山瀬の射線に身を晒している状態だ。
(おいおい、合図も何もなしかよ……)
心の中でツッコミながらも山瀬の行動は素早かった。
ホルスターからもう一挺のハンドガンを抜き、左手に持つ。
両手に持った銃の感触を確認して一呼吸した彼は、踊り場を蹴って空中に跳躍した。前をはだけた黒色のパーカーのチャックが空気を切り裂きながらぶつかり合い、裾を鴉の翼のようにはためかせながら、彼は二人の真ん中に降り立つ。
「!?」
二人の男達は突然現れた敵に照準を切り換えるが、既に山瀬は引き金を引いていた。
「遅い」
二発の乾いた銃声。
同時に放たれた弾丸は二人のバルーンに命中、バルーンは赤い飛沫を飛散させながら破裂した。後に残ったのは呆然と立ち尽くす全身塗料塗れになった二人の男と柱の陰でその一部始終を見ていた藤堂――ただしその表情は呆けている――と既に塗料塗れになっている男だった。
「おい、行くぞ!」
当の山瀬はまるで興味がないというように通路を顎でしゃくる。
その声で我に返った藤堂は彼に歩み寄った。
「噂には聞いていましたが凄いですね……」
一瞬で戦闘を終わらせた目の前の男に藤堂は賞賛を送る。しかしそれよりも塗料が飛び散った上着の方が大事らしく彼は真剣な顔で棟堂に問いかけた。
「これって洗えば落ちるよな?」
その間抜けな発言に藤堂は思わず噴き出した。

その頃、特別教室棟屋上。
『三人やられた。後はアンタに任せる』
給水タンクの上に女が伏せていた。女の耳に小型無線が差し込まれており、頭にはバルーン。今しがた入ってきた無線に耳を傾けている。
「……」
上から下まで黒で統一した衣服を身に纏うその女はほのかに口を歪ませた。しかしそれは一瞬の事。女は二脚で固定した長大のライフルのスコープを覗きこむ。
その照準は教室棟四階の連絡通路を歩いている二人の男の内の一人――黒色のパーカーを羽織っている男に照準された。
「……」
一瞬の沈黙の後、女は無造作に引き金を引いた。


「!?」
山瀬は反射的に藤堂の襟首を掴んで、スウェイバックしていた。
聞こえたからだ。ライフル銃独特の銃声を。
刹那、亜音速で飛翔する“何か”が彼等の前をかすめ、そばの手すりに火花を散らした。その物体はころころと転がって藤堂の足元にぶつかる。
「こ、これは……」
「……ライフル用のゴム弾だな」
「おいおい、何だって……」
今まで笑顔を保っていた藤堂の顔がさっと青ざめる。
ルールによればハンドガンのみが使用だったはずだ。だが、現にこうして拳銃ではあり得ない距離から弾丸が撃ち込まれた上に、極めつけはライフル用のゴム弾。明らかにルール違反だった。
「なんてこった、くそっ!」
地面に拳を叩きつける藤堂。その表情には初対面時の微笑はなく、どこか焦っているようにも見える。まるで別人のように豹変してしまった藤堂に山瀬は聞いた。
「アンタ何でそんなに焦ってんだ?何かあったのか?」
ある程度落ち着いたのか、荒くなった呼吸を整えながら藤堂はゆっくりと口を開く。
「……ああ、そうだった。山瀬君にはまだ話してなかったね。実はこの競技で負けてしまったら僕達の部は潰されてしまうんだ」
「ほう。で?」
その衝撃的な発言に対する山瀬の反応は冷めていた。その反応に苦笑しながら藤堂は先を続ける。
「前々から生徒会に圧力をかけられていたんだ。今日の対戦相手だって恐らくは生徒会の息がかかった生徒達だ」
「へぇ~それはそれは」
生徒会の理不尽なやり方によって部活が潰されるかもしれないというのにそれでも山瀬の反応は冷たかった。その態度に藤堂は殴り飛ばしてやりたいほどの怒りを覚えているはずだが、何故か行動に移そうとしない。それは先程のやり取りでこの山瀬という男の性格を理解したからだ。故に藤堂の口調も投げやりな物になる。
「……まぁ、山瀬君にはどうでもいい話か。済まないこんな話をして」
笑いは笑いでも自嘲した笑みを浮かべた藤堂は中腰になって特別棟への扉に視線を向けた。
「ここからは僕一人で行かせてもらいます。じゃ……」
「待て」
そんな藤堂に山瀬が待ったをかけた。この時ばかりはさすがの藤堂も怪訝な視線を向ける。
「ふざけるのはやめてください。僕は……」
その先を言おうとした藤堂を山瀬は片手で制した。
その口がにやりと歪む。
「考えが変わった。それに向こうは俺達を誘ってるみたいだからな」
確かに先程の攻撃以降狙撃手は沈黙している。
まるで彼等を待っているかのように。舐められたもんだぜと山瀬は吐き捨てる。敵側はなぜか三人を探索に割り当て結果失った。
だが裏を返せばそれは残り二人だけでも旗を死守できるという自信の表れ。
「じゃぁ、僕達に勝ち目なんかないじゃないか……」
がっくりと肩を落とす藤堂に、まだ勝機はあると山瀬は不敵に笑う。
「まぁ俺に任せろ。仕事はきっちりこなすタチでね」

「……」
最初の狙撃から態勢を維持したまま、スコープを移動させた女は屋上に一つだけある扉にその十字を合わせた。その扉から数メートル離れた金網にはハンドガンを持った迷彩服の男。
扉の他にあるものといえば給水タンクと、転落防止用の金網。
遮蔽物は何一つとして存在しない。
「……」
圧倒的に有利な状況にも関わらず、女の表情には油断がない。
僅かな変化を見逃さないというように扉を見つめ続ける。と、その眼前で扉が唐突に開いた。
「!?」
女の指が引き金にかかり、遅れて男がそちらへハンドガンを向ける。しかし飛び込んで来たのは二つの物体。物体――消火器は盛大な煙を噴き出し始め、あっという間に屋上の半分を埋め尽くす。
その無害な物体に男は安堵し銃を下ろしたが、彼女は引き金から指を離していない。じっと煙に遮られた入口を見つめている。

――そして状況は動き出す

銃声。
銃を下ろした男のバルーンが突然破裂した。同時に煙の中から影がこちらから見て右から向かってくる。そこから出てきたのは黒パーカーの男と一緒にいた迷彩服の男だった。手に持ったハンドガンを今まさにこちらに向けようとしている。
だが、女の行動は素早い。突然の奇襲に動じる事なく冷静に引き金を絞る。くぐもった銃声。弾丸は確実に彼のバルーンを破壊、塗料が辺りに飛び散る。そうして落ちてきたライフルスコープを覗きこんだ瞬間、女の顔が初めて驚愕に歪んだ。
自分の注意の範囲外である左から黒パーカーの男が突進してきたのだから。その手には銃。迷彩服の男は囮。本命は――黒パーカーの男。慌てて引き金に絞ろうと指先に力を入れる女。
だが、それよりも早く黒パーカーの男はハンドガンを発砲、猛進する弾丸は女のバルーンを正確に撃ち抜き、遅れて発せられた銃声は戦闘の幕引きを告げた。


翌日の放課後。いつもの場所でいつもの表情をしている山瀬。
「やあ」
その背後から声が湧いた。いつものように振り返らずに返事を返そうと彼は口を開く。だが、今回は彼女の方が上手だった。
即座にいつもの席に移動した小川は得意げに笑う。
「で、アイツはどうなったんだ?」
それら全てを無視して山瀬は問いかけた。
グランドに目を向けたまま。
「生徒会の不正が発覚して部は存続という形になったみたいだよ」
「ふ~ん」
聞いておきながら気のない返事を返す山瀬。暫く二人の間に沈黙が流れた。そしてそれを破ったのも山瀬。
「あん時のスナイパーお前だろ?」
小川の表情がさっと強張った。返答の代わりに彼女はえへへと笑って髪を弄る。山瀬は席を立った。
「まぁ、別にいい。今回は俺の報酬が危うくなりそうだったからな。有利な方についただけだ」
そう言って彼は出口へと向かう。その背中はどこか笑っているように見えた。

――完