今回の発見はもう一つ。
フォードがキャサリン・ヘップバーンと親密な関係だったことだ。
ボグダノビッチは親密な関係を"intimate relationship"という表現をした。
"intimate"は親密なという意味だが、肉体関係があるくらいの親密さと言う意味を持つ。
フォード演出の「メアリー・オブ・スコットランド」(1936)に主演したときから始まったようだ。
ヘップバーンといえば、妻帯者であったスペンサー・トレーシーと
死ぬまで不倫関係にあったことが有名だが。その他にもあったようだ。
そういえばハワード・ヒューズの伝記映画「アビエイター」でも
ヒューズの愛人として実名で登場し、ケイト・ブランシェットが本人そっくりに演じていた。
自分の演出方法に口を出されるのを極端に嫌うフォードが
ヘップバーンが意見することを許し、むしろ歓迎していたらしい。

面白いのはフォード映画が最も充実していた時期と
ヘップバーンと付き合っていた時期が重なることだ。
1939年から1941年の三年間にフォードがを撮った映画は以下。
1939「駅馬車」(NY批評家協会賞)
「若き日のリンカーン」
「モホークの太鼓」
1940「怒りの葡萄」」(アカデミー監督賞、NY批評家協会賞)
「果てなき旅路」(NY批評家協会賞)
1941「タバコ・ロード」
「我が谷は緑なりき」(アカデミー作品賞、監督賞、NY批評家協会賞)

フォードが亡くなった1973年の病床でのヘップバーンとの会話が録音されていて、その中でも確かにヘップバーンに"I love you."と言っている。
アメリカ人の言う"I love you."の重さがどの程度かわからない。
朝、出かけるときに言う程度の重さか、それとももっとシリアスなシチュエーションか。それでも、言う相手に対し、相当の責任を持つことを要求されるフレーズだ。ただし、ヘップバーンはリスペクトしているとしか言ってないが。

スペンサー・トレーシーと1942年から、トレシーが亡くなった1967年まで
付き合っていたのだから恋多き女性だったようだ。
フォードとヘップバーンの仲は、フォードが1942年に野戦場面撮影のため
海軍での海外軍務に就いて終わったようだ。
IMDb(http://www.imdb.com/)によると、フォードと別れたヘップバーンと付き合い始めたトレーシーとフォードは20年間口も利かなかったそうだ。

フォード映画を全て観ているわけではない。
これは観るまでないな、と思うようなものも中にはある。
でも、死ぬまでに絶対観たいものが1本ある。
それは、「河上の別荘」"Up the river"(1930)だ。
スペンサー・トレシーとハンフリー・ボガードのデビュー映画でもあるその映画は、刑務所の囚人同士の対抗野球試合のために、脱獄に成功した主人公二人が、野球の試合に出るためにわざわざ刑務所に戻って、、、というコメディ。
全米の興行主が集まった上映会では全員度肝を抜かれ、
中には文字通り椅子から転げ落ちて、みんなに助け起こしてもらわなければ
立ち上がれない人もいたくらいだったらしい。
もし、観れなかったら、自分でそのプロットを元に脚本を書いて監督してみたい。

写真は大学生のとき、「オリジナルブックマッチを作ろう」というイベントで作ったもの。"The Searchers"とは「捜索者」(1956)ジョン・ウエイン主演の後期の傑作のひとつ。

 

2010/5/24(月) 午後 6:08