寒空。
生まれて三十余年、今月ほどに肉体的かつ、やや精神的なものも含め、これほどの「寒さ」を痛烈に味わったことは初めての経験である。
寒さといえば、最終電車で酔い寝してしまい終着駅で途方に暮れ、駅のベンチで野宿しかけたあの寒さ。
蒲鉾製造のアルバイトで正月の深夜に巨大な冷蔵庫の中で何種類もの冷凍の魚のすり身を腱鞘炎になるまで裁断したあの寒さ。
ビジネスホテルで夜風に吹かれたいと軽い気持ちで非常口を出たもののオートロックがかかり途方に暮れたあの寒さ。
車で夜に事故を起こし、早朝までその事故処理に追われたあの寒さ。
これらの他にもいくつもの寒さを経験をしてきたが、その中で最も痛烈な寒さである。
そして恐らく、これからも様々な種類の「寒さ」を感じて生きていくのであろう。所詮はどんな出来事も生きていく中での通過点であり、全ての出来事は経験として思い出や後悔などの「記憶」になる。そして今回の「寒さ」は生涯決して忘れることのない「寒さ」として、僕の「寒さ」の記憶になる。これは確信している。
特徴的なのは、これまでに経験した「寒さ」は、いわゆるアクシデントによって引き起こされた出来事が中心であるが、今回の「寒さ」は自ら望んで得た「寒さ」であること。もちろん寒いのが好きなわけではないし、自虐的行為に快感を得る種類の人間でもない。たまたま、そうたまたま、この「寒さ」に耐えなければならない季節であり物事だっただけのことである。夏であればもちろん事情は異なったものだろう。もしかすれば「暑さ」というテーマでアイスキャンディーに対する考察やクールビズに対する個人的見解や空調設備から排出されるフロンガスについての環境問題をblogに書いていたのかもしれない。でもそれらはそういう可能性も少なからずあっただけのことで、やはりもしかすればと今思うだけのこと。結局のところ僕は「寒さ」について今書いていて、そしてそれが僕が得た事実だ。
そして本来、肉体的な寒さは防寒することでかなり緩和されるはずなのであるが、あまりに僕はこの「寒さ」に対して無防備であり無配慮だ。まるで「寒さ」を楽しんでいるかのように。
今月も今年もあと僅か。今月と今年の「寒さ」もあと僅か。来年はまだ知らない「寒さ」がきっと待っている。
結局、またよくわからない記事をひとつ増やす。