不幸を愛する精神(その3:尼崎の電車事故より) | Oriento's Online Club

不幸を愛する精神(その3:尼崎の電車事故より)

 この国には、一種の悪魔信仰があるのかもしれないと思う事がある。


 JR西日本は、人間関係を「ゼロサム(自分が得するには相手は損しなきゃならない)」と考えているのではないか ?
 相手(部下)に、現実離れした課題を突きつけ、緊張を強いられて不幸な顔をしている時に、上は、「オレは良くやっている。」と感ずることができるようだ。
 相手(部下)の時間管理を厳しく行い、残業を重ねてもらい、余裕の無い生活にあけくれる時にだけ、上は、「オレはBESTをつくしている。」とほっする。


 「蟹工船」にも似た世界がそこにある。


 罪な事に、業界での競争相手に対する 「戦さ」 をどう進めるかは深くは考えもせずに、「社内の締めつけを強化するしかない」と自分を納得させる(騙す)こによって自分は救われ、相手には、できそうもない事に苦しむよう監視し続ける。 

 苦しんでいる(緊張している)のを見て安心するのである。


 但し、この場合には、「最終的に目標が達成されない(周りから評価を得ない)ように、わざわざと、難題を出しているという程までの悪意があった訳ではないようだ。


 60年以上昔のことで、私の知らない時代の事だか、この国の「戦さ」 にては、「歩兵とその上官の間の人間関係」には、どうようのゼロサムの感覚があったのかもしれないと想像する。 「歩兵」は、「上官」のいう無理難題に難題に対して、「自分は捨て駒かもしれないとの不安」にかられながら自分の仕事を続けるよう教育されていた。 下層民の悲劇がそこにある。 作戦本部での連中は、歩兵に対して、時には、ほとんど「死」を意味する様な命令を下す。
 悪魔のような命令を下すのも仕事だと考えられており、自分が悪魔になることで、幸福になるやつがいるのだとほっとしていた(そこの所で思考を停止させていた)のかもしれない。

 

 この国には、「共に、幸福になろう」という言葉を発する上下関係/人間関係は滅多にない。 
 デフレ期には、そうなる要因・誘惑は山ほどあるだろう。 経済状態は良くならないのだから、どっちかが責任を取らなければならない。


 否、これもまた、私は知らない時代の事だが、前後の復興インフレ期には、例外的に、「共に幸福になることを目指す」というのが在ったのかもしれない。 (但し、それを誓うのは男同士だけだったようであり、男女の間ではまずそういう会話は無かったようだ。  悪魔信仰とまではいわなくとも、少なくとも、不幸を愛する精神がやはりあったのではないだろうか?)


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