わからんね
どいつが本当のわたしなんだろう。
それとも本当のわたしなんて、そんなもん嘘で、わたしはいつも違うわたしなんだろうか。
わたしに色んな面があるだけなんだろうか。
あーわたしってものが世界で一番よくわからない。
それとも本当のわたしなんて、そんなもん嘘で、わたしはいつも違うわたしなんだろうか。
わたしに色んな面があるだけなんだろうか。
あーわたしってものが世界で一番よくわからない。
スピリットっ!
むっちゃ眠い…、むっちゃ眠いけれど、書きたいんだぁ~!!!笑
夜行性目夜更かし類オールナイト族。(本当は寝坊すけ族)
やっぱり夜中のテンションは何か変。でもいいの、書きたいんだからっ。笑
大学院でのさまざまな出会いが、私はとても楽しいし、刺激的だと、最近すごく感じる。
ぐにゃぐにゃと進路とか迷っていた自分は何だったのだろうと思える程、(今も完全にそれが消えているわけではない、どころか正直先なんてよくわからないけれど)熱い気持ちを持っている素敵な方がたに出会えて、そのスピリットに日々触発されている。
本気で自分の人生の問いに向き合おうとしているひと、新しい社会のあり方を懸命に模索しているひと、社会への疑問を解き明かそうとしているひと、苦しいことがたくさんあっても自分のわくわくする方向に真剣に行こうとしているひと、自分の気持ちにまっすぐに生きようとしている人びと。
まわりの目?親の意向?将来の安定??
そんなことを少しでも気にする自分が本当に、本当に、恥ずかしい。
一生懸命、正直に生きている人に、申し訳なくなる。
自分の魂の奥深くから突き上げてくる何か、その何かの発するサインへの感受性を研ぎ澄ますこと。それこそが一番大切なことなんだと思う。
ありのままの自分になって、歌いながら笑いながら泣きながら、いつでも生身の人間として、生きていけたらいい。
何歳だとか、関係ない。いつだって「そのとき」は「そのとき」なんだから!!
うぉりゃーっ!
夜行性目夜更かし類オールナイト族。(本当は寝坊すけ族)
やっぱり夜中のテンションは何か変。でもいいの、書きたいんだからっ。笑
大学院でのさまざまな出会いが、私はとても楽しいし、刺激的だと、最近すごく感じる。
ぐにゃぐにゃと進路とか迷っていた自分は何だったのだろうと思える程、(今も完全にそれが消えているわけではない、どころか正直先なんてよくわからないけれど)熱い気持ちを持っている素敵な方がたに出会えて、そのスピリットに日々触発されている。
本気で自分の人生の問いに向き合おうとしているひと、新しい社会のあり方を懸命に模索しているひと、社会への疑問を解き明かそうとしているひと、苦しいことがたくさんあっても自分のわくわくする方向に真剣に行こうとしているひと、自分の気持ちにまっすぐに生きようとしている人びと。
まわりの目?親の意向?将来の安定??
そんなことを少しでも気にする自分が本当に、本当に、恥ずかしい。
一生懸命、正直に生きている人に、申し訳なくなる。
自分の魂の奥深くから突き上げてくる何か、その何かの発するサインへの感受性を研ぎ澄ますこと。それこそが一番大切なことなんだと思う。
ありのままの自分になって、歌いながら笑いながら泣きながら、いつでも生身の人間として、生きていけたらいい。
何歳だとか、関係ない。いつだって「そのとき」は「そのとき」なんだから!!
うぉりゃーっ!
再開!!!
再開いたしました!!
やはり自分の考えを文章に表わしたいという気持ちが湧きあがり、ついに再開に至りました。
最近一年生に混じって、去年履修できなかった環境関連の授業を履修しているのですが、その授業が面白いっ。熱い。90分あっという間に終わる。
レジュメ「ぺらいち」で、とつとつと、自分の専門を語る一年生。しかもその分野といったら、知る人ぞ知る「環境文学」という領域。
プエブロ族という、ネイティブアメリカンのひとつの部族の作家の作品の中に出てくる一節から、環境思想を読みとく。その部族の神話では、「蜘蛛の女」が創造の神の象徴として表わされる。それを紙にシャーペンで蜘蛛の巣の図を描きながら説明する彼女。何で蜘蛛の巣なんだ?と思いながら聞いていると、蜘蛛の巣のように、この自然界は全てがつながっているのだから、どこかで起きたことは蜘蛛のような放射状で影響が広がっていくという考えを反映しているから、「蜘蛛の女」が創造主として表わされているのだそうだ。
正直その説明を聞いていてぞくぞくした。かっこええ!!て。
その思想自体にも惹かれたし、彼女は学部あがりで私といっこしか違わないのに、自分の専門をカンペなしで「ぺらいち」のレジュメを見ながら語れるっていうのが、何ともかっこ良いと思った。
私はこの道でいきますという密かな心意気を感じてしまいました。
分野横断的な大学院だからこそ、色んな角度から環境や社会、文化、開発の問題を考えることができるのが、私の所属する研究科の良いところだと、私は思っている。
環境と開発。ともすれば相反すると考えられがちなその二つのことがらを、いかに「持続可能」なものとしていくか。今人類の直面している最大の命題といっても言い過ぎではない。
この難問への何らかの答えを探り出すための考え方や、実践的な教育活動であり、理念でもあるESD、それを学べるなんて、ああ、私は本当にこの大学院に来たことを良かったと感じている。
やはり自分の考えを文章に表わしたいという気持ちが湧きあがり、ついに再開に至りました。
最近一年生に混じって、去年履修できなかった環境関連の授業を履修しているのですが、その授業が面白いっ。熱い。90分あっという間に終わる。
レジュメ「ぺらいち」で、とつとつと、自分の専門を語る一年生。しかもその分野といったら、知る人ぞ知る「環境文学」という領域。
プエブロ族という、ネイティブアメリカンのひとつの部族の作家の作品の中に出てくる一節から、環境思想を読みとく。その部族の神話では、「蜘蛛の女」が創造の神の象徴として表わされる。それを紙にシャーペンで蜘蛛の巣の図を描きながら説明する彼女。何で蜘蛛の巣なんだ?と思いながら聞いていると、蜘蛛の巣のように、この自然界は全てがつながっているのだから、どこかで起きたことは蜘蛛のような放射状で影響が広がっていくという考えを反映しているから、「蜘蛛の女」が創造主として表わされているのだそうだ。
正直その説明を聞いていてぞくぞくした。かっこええ!!て。
その思想自体にも惹かれたし、彼女は学部あがりで私といっこしか違わないのに、自分の専門をカンペなしで「ぺらいち」のレジュメを見ながら語れるっていうのが、何ともかっこ良いと思った。
私はこの道でいきますという密かな心意気を感じてしまいました。
分野横断的な大学院だからこそ、色んな角度から環境や社会、文化、開発の問題を考えることができるのが、私の所属する研究科の良いところだと、私は思っている。
環境と開発。ともすれば相反すると考えられがちなその二つのことがらを、いかに「持続可能」なものとしていくか。今人類の直面している最大の命題といっても言い過ぎではない。
この難問への何らかの答えを探り出すための考え方や、実践的な教育活動であり、理念でもあるESD、それを学べるなんて、ああ、私は本当にこの大学院に来たことを良かったと感じている。