これは、自分のための記録である……∪……∪…………∪………∪3月11日14時46分
仕事中。
最初の揺れ始めは
最近、地震多いな~という
何気なく感じながら
横揺れが段々
縦に小刻みでガタガタときた。
最初は
すぐに揺れも収まるだろうと
たかをくくってたが、
次第に揺れが激しくなる。
ヤバい!
と感じるようになり机の下に潜り込む。
何処かにしがみ付かないと支えられない状態だ
ここで思ったのは
とうとう来たかぁ。
東海地震が…
会社は建物倒壊は免れた。
ボロビルなんですが。
しかしPCや書類は倒れた。
揺れがおさまると避難訓練している公園に。
靴に掃きかえコートと携帯をもって出る頭はあったが
財布、鞄は持って出なかった。
貴重品や鞄や水とうをもってでるべきであった。
そこから1時間位は公園で待機。
途中
いろんな企業が集まってきた。
ヘルメットしっかりかぶり、
点呼表持ってグループ避難してきた企業もあった。
しっかりBPCが出来ている。
変わって当社は避難はすんなり出来たが、
そこからの対応がいまひとつで
いつ社に戻っていいのか?
わからないまま終らない余震を
感じ続つ過ごす。
地震後、どのタイミングで社員を帰すとかのルールは
今後必要である。
大きな余震は続く。
外からでも建物がミシミシ
窓ガラスがブルブル、ビリビリいっているのがわかる。
一旦社内に引き上げた人達も再度公園に避難してきたくらいの
余震が。
一斉に公園の真ん中に皆が動く。
建物の近くは危険だということがわかったからである。
しばらくして
揺れがおさまり始めてきたところで
当社の社長、部長達が社内に戻る姿をみた
それにあわせて私達も引き上げてしまったが、
彼等は社内点検ために帰ったらしかった。
そこはちゃんと点検のために戻る旨を皆に伝えるべきである。
グダグダに、社内に帰って来てからは、PC、書類、花瓶とうの倒れたものを片付ける。
そこで
自宅の心配が出てきた。
当社が凄く揺れたのだから
うちのボロ家はもっと揺れて
どうにかなっているだろうと。
母は朝から遠出していた。
家のなかは父ちゃんのみ…?
片手片脚マヒな身体なので
火事や家が倒壊してたら逃げれるのか?
無理だよなぁ~
との心配が。
電話繋がらない。
メールも繋がらない。
電車が全線ストップした。
私は帰宅難民となっていた。
社内でテレビをつけて様子見であったが
被害が尋常でないことが時間が経つことにわかる。
上司が
帰る方向が同じである人達を社用車で帰らせはじめる。
しかし、自分はみなと全く逆…
家が心配だったので
歩いて帰ることにした。
自信はあった。
東海地震に備えてちょっと
シュミレーションしてたことがあったのだ。
渋谷から川崎の自宅の最寄り駅まで歩いた
築地から六本木位までも歩いた経験があった事から
恐らく5時間くらいで着くだろうと判断。
ラッキーな事に
チャリンコを借りられた。
これで、帰れる自信が更に増した。
しかし、ここからが大変だった。
東京都内全域で交通状態がマヒしている現状を思い知らされた。
皆、何処かに向かって歩いているのか?
さっぱりわからないが
とりあえず歩いている。
電車も止まっているのに何処に?
なのに
東京都内の道は人でごった返す。
チャリンコは便利なようで
時には
邪魔なものとなった
ルート246を目指す。
銀座、有楽町、霞ヶ関、国会議事堂を通った。
皇居周辺の車道は車で一杯で、
チャリンコ通れるスペースもない。
歩道は幅が狭く、帰宅者でいっぱいで
上手く前に進めない。
この状況にパニクった。
何処から行けば246に出られたか忘れてしまったのだ。
チャリで移動中の叔父さんの一人に声かける。
246に行こうとしてます?と
聞き方が
「246何処ですか?」ではなく
何故か、そう感じた
するとビンゴ!!
叔父さんと帰る方向一緒!!
しかも最寄り駅も。
奇跡である。
仲間発見!!
ついて行くことにした。
途中、上り下り坂をいくつも経験。
六本木、溜池山王、渋谷…
きつかった(>_<)
仲間の叔父さんは運動不足が祟って
脚がパンパンで動けなくなる時も…
何回目かの休憩をとろうとしている叔父さん。
まだまだ、体力、脚力が残っている自分は
叔父さんに飴玉2個プレゼントしお礼を言って
先に進んだ。
車は渋滞していてなかなか進まない。
バス専用車線にも一般車がいるから
バスも立ち往生だ。
こっちもなかなか進まない時は
車と車の間のわずかな隙間を通った。
普段は危なくて出来ないだろうが
メッセンジャーのように
スルスル、クネクネと車を掻き分けて進む。
恐かった)゚0゚(ヒィィ
見慣れた町が、川の向こう側に見えてきた時は
嬉しかったな~
約3時間で帰宅することが出来た。
………続く
仕事中。
最初の揺れ始めは
最近、地震多いな~という
何気なく感じながら
横揺れが段々
縦に小刻みでガタガタときた。
最初は
すぐに揺れも収まるだろうと
たかをくくってたが、
次第に揺れが激しくなる。
ヤバい!
と感じるようになり机の下に潜り込む。
何処かにしがみ付かないと支えられない状態だ
ここで思ったのは
とうとう来たかぁ。
東海地震が…
会社は建物倒壊は免れた。
ボロビルなんですが。
しかしPCや書類は倒れた。
揺れがおさまると避難訓練している公園に。
靴に掃きかえコートと携帯をもって出る頭はあったが
財布、鞄は持って出なかった。
貴重品や鞄や水とうをもってでるべきであった。
そこから1時間位は公園で待機。
途中
いろんな企業が集まってきた。
ヘルメットしっかりかぶり、
点呼表持ってグループ避難してきた企業もあった。
しっかりBPCが出来ている。
変わって当社は避難はすんなり出来たが、
そこからの対応がいまひとつで
いつ社に戻っていいのか?
わからないまま終らない余震を
感じ続つ過ごす。
地震後、どのタイミングで社員を帰すとかのルールは
今後必要である。
大きな余震は続く。
外からでも建物がミシミシ
窓ガラスがブルブル、ビリビリいっているのがわかる。
一旦社内に引き上げた人達も再度公園に避難してきたくらいの
余震が。
一斉に公園の真ん中に皆が動く。
建物の近くは危険だということがわかったからである。
しばらくして
揺れがおさまり始めてきたところで
当社の社長、部長達が社内に戻る姿をみた
それにあわせて私達も引き上げてしまったが、
彼等は社内点検ために帰ったらしかった。
そこはちゃんと点検のために戻る旨を皆に伝えるべきである。
グダグダに、社内に帰って来てからは、PC、書類、花瓶とうの倒れたものを片付ける。
そこで
自宅の心配が出てきた。
当社が凄く揺れたのだから
うちのボロ家はもっと揺れて
どうにかなっているだろうと。
母は朝から遠出していた。
家のなかは父ちゃんのみ…?
片手片脚マヒな身体なので
火事や家が倒壊してたら逃げれるのか?
無理だよなぁ~
との心配が。
電話繋がらない。
メールも繋がらない。
電車が全線ストップした。
私は帰宅難民となっていた。
社内でテレビをつけて様子見であったが
被害が尋常でないことが時間が経つことにわかる。
上司が
帰る方向が同じである人達を社用車で帰らせはじめる。
しかし、自分はみなと全く逆…
家が心配だったので
歩いて帰ることにした。
自信はあった。
東海地震に備えてちょっと
シュミレーションしてたことがあったのだ。
渋谷から川崎の自宅の最寄り駅まで歩いた
築地から六本木位までも歩いた経験があった事から
恐らく5時間くらいで着くだろうと判断。
ラッキーな事に
チャリンコを借りられた。
これで、帰れる自信が更に増した。
しかし、ここからが大変だった。
東京都内全域で交通状態がマヒしている現状を思い知らされた。
皆、何処かに向かって歩いているのか?
さっぱりわからないが
とりあえず歩いている。
電車も止まっているのに何処に?
なのに
東京都内の道は人でごった返す。
チャリンコは便利なようで
時には
邪魔なものとなった
ルート246を目指す。
銀座、有楽町、霞ヶ関、国会議事堂を通った。
皇居周辺の車道は車で一杯で、
チャリンコ通れるスペースもない。
歩道は幅が狭く、帰宅者でいっぱいで
上手く前に進めない。
この状況にパニクった。
何処から行けば246に出られたか忘れてしまったのだ。
チャリで移動中の叔父さんの一人に声かける。
246に行こうとしてます?と
聞き方が
「246何処ですか?」ではなく
何故か、そう感じた
するとビンゴ!!
叔父さんと帰る方向一緒!!
しかも最寄り駅も。
奇跡である。
仲間発見!!
ついて行くことにした。
途中、上り下り坂をいくつも経験。
六本木、溜池山王、渋谷…
きつかった(>_<)
仲間の叔父さんは運動不足が祟って
脚がパンパンで動けなくなる時も…
何回目かの休憩をとろうとしている叔父さん。
まだまだ、体力、脚力が残っている自分は
叔父さんに飴玉2個プレゼントしお礼を言って
先に進んだ。
車は渋滞していてなかなか進まない。
バス専用車線にも一般車がいるから
バスも立ち往生だ。
こっちもなかなか進まない時は
車と車の間のわずかな隙間を通った。
普段は危なくて出来ないだろうが
メッセンジャーのように
スルスル、クネクネと車を掻き分けて進む。
恐かった)゚0゚(ヒィィ
見慣れた町が、川の向こう側に見えてきた時は
嬉しかったな~
約3時間で帰宅することが出来た。
………続く
