こんにちは。

 

「覚醒を目指す」とか言っておきながら、

次男の頭をぶってしまったzenです。

うぅ…。覚醒が遠のく。。

 

 

何があったかと言いますと、

昨日は「長男vs次男」の喧嘩ではなく、

「次男(ソウ)vs末娘(ハナ)」の喧嘩があったのです。

 

末娘のハナが あるレゴブロック持って遊んでいると、

「あ!それソウが使ってたレゴだ!」と言って、

いきなりソウがハナを蹴り、無理やり奪おうとしたのです。

 

この時点で「イラっ」とした僕は

「それはおかしいやろ!返してほしいんやったら丁寧に伝えんかい!」

とソウに一喝。

 

ハナは絶対渡してなるものかとしばらくソウに抵抗していましたが、

結局は諦めて嫌々ソウに返却。

この時点で表面上は一旦落ち着きを取り戻しました。

 

だけどその後すぐ、不満を溜め込んでいたハナが、床に落ちていたソウのパジャマを蹴り飛ばしました。

それを見たソウがハナを強くキック。

この瞬間にバチン!

ソウの頭をぶってしまいました。。

 

「許し」の実践で、

「あらゆる人や出来事からマイナスの影響を受けない」と決めていたのに、

「鏡の法則」で、

「目に映る現実は、自分自身の投影」ということを知っていたのに、

やってしまいました。

 

「知っている」と「できる」は全然違う。

修行が足りなさすぎる。。

 

 

「長男vs次男」の喧嘩は何度も何度も経験してかなり冷静に観れるようになり、

「あぁ、やりたくてやってたんだ」とようやく許せるようになってきたものの、

「一番力の弱い末娘を、兄貴が蹴る」ということに思わず反応してしまいました。

 

「いやいや、そりゃ女の子を蹴るのはダメに決まってるでしょ」と、優しく僕に同情してくださる方もおられるかもしれませんが、

「覚者」は僕がしたような反応は決してしないと思うのです。

「覚者」なら、もっともっと冷静に穏やかに対応していただろうと思うのです。

(本当に「覚者」になったとき、そもそもそういう現実が起こらなくなるのかもしれませんが)

 

 

自分自身の行動を振り返ってみて、

なぜ僕がソウの行動に強く反応してしまったかを考えてみると、

「女の子には優しくしなければならない」

「力の弱いものは守らなければならない」

という強い「思い込み」があることに気が付きました。

 

その「思い込み」はすなわち

「女の子に攻撃する奴=悪」

「弱者を攻撃する奴=悪」

と捉えてしまうことに繋がり、

今回のケースで言うと、ソウは僕の中での「悪者」となり、

とっさに「成敗してやる!」となってしまったのかと思われます。

 

 

 

 

神寄木さんは、

「わたし」と「わたし以外」というように、

世界を二分して捉えているのが「自我意識」の特徴だと言います。

 

世界を二分して捉えることを「二元意識」と云いますが、

善悪・正邪・光と闇・表裏などなど、

「わたし」の受け入れられる範囲を「善・正・光・表…」とし、

「わたし以外」は「悪・邪・闇・裏…」としてしまうのが「自我」の特徴とのことです。

 

僕はかねてから「全てを受容したい」と思っていますが、

それがなかなかできず、すぐにイラっとしたり子どもをぶってしまうのは、

「自我意識」≒「二元意識」を強く持っていたからだと、

ようやく少しずつわかってきました。

 

「二元意識」を持つということは、

世界を「肯定」と「否定」に分けるということであり、

自分が「肯定」にカテゴライズしたものを「受容」するのは簡単であっても、

「否定」にカテゴライズしたものを「受容」するというのは

そもそも無理があるし矛盾しているのです。

 

つまり何が言いたいかというと、

「すべてを受容したい」と本氣で思うのなら、

「二元意識」を解除する必要があるということです。

「一元」としてこの世界を観るということ。

「ただ在る」というその世界観。

 

 

自分自身がまだまだ全然理解し切れていないのでとってもわかりにく文章になってしまったかもしれませんが、

「覚者」を目指して「二元意識」を越えていきたいと思います。

そして本当に「すべてを受け入れられる」ように成りたい。

 

どれだけ痛めつけられても、

いつでも変わらず僕らを支えてくれている地球や宇宙のようにー。