こんにちは。zenです。

 

僕は根深い悩み(課題)を抱えています。

 

それは、「長男イチとの関係性」。

 

イチは、僕にとっては本当に強烈な存在で、

 

自分勝手

超自己中

暴力的

何でも人のせい・環境のせいにする

しつこい

話が長い

自意識過剰(「俺すごない?」が口癖)

支配的

傲慢

 

という、まあ、僕が

「絶対にこんな人間になりたくない」

ということを見事に体現してくれております。。

 

これが赤の他人だったら逃げて終わりなんですけど、

「息子」というね。

毎日顔を合わすというね。

 

えぇ。

 

辛いです(ぴえん)。

 

 

 

神寄木賀集ゆかさんのブログに出会う前から、「彼を受け容れていくこと」が僕の今世での最大のテーマだなと感じていました。なので、自分なりにいろいろ考えながら、「彼を受け容れていくこと」「彼を許すこと」にチャレンジしてきました。だけど、全然できなかったんですね。当たり前のように弟に手を出す彼を見る度に、当たり前のように何でも独り占めしようとする彼を見る度に、「ゴルァァァァァァァァァ!!!!」と火山を噴火させておりました。そして、「彼を受け容れる」どころか、「彼を好きと思えない」というのが、今の正直な現状です。

 

本当は彼を愛したいのです。

次男のソウや末娘のハナと同じように、心からの「好き」の振動を伝えながら、ギュッと抱きしめてやりたいのです。

 

だけど、現状は全然できていない。

愛するどころか、冷たくあしらってしまっている。

「当たり前のように人を傷つけるお前なんて、愛せないよ」

と言わんばかりに…。

「パパの気に入る人間になってから、出直してこい」

と言わんばかりに…。

 

こうやって自分の思いを吐露すると一目瞭然ですが、

「どっちが傲慢やねん」という話でして。。

僕の傲慢さや支配欲を見事に「鏡」してくれていたのが「イチ」だったんですよね。

また、僕が「こうあってはならない」と「抑圧」「封印」してきたものを現してくれていたのも「イチ」だったのです。

 

このことにようやく気が付くことができ、理解が深まってきたのが、神寄木さんのブログに出会ってから。

 

今日のブログにも多くの學びがありましたので、一部抜粋し、共有させていただきます。

 

 

「 鏡の法則 」は全てが調う「 癒しの法則 」

そこに映るは全て 癒されていない「わたし」

 

強烈な「フォーカス」を引き出すのは

「凹凸」となる「否定=裏=陰」として
「分離のまま」に置かれたデータ群です。

「霊性進化=融合意識」を成す場合
取り組むのは「鏡側」=「裏のわたし」の
データとの融合になります。

様々に分離配置(投影)した「データ」を、
「1つの大いなる意識」へ融合が完了すると
ゲームクリア=「1霊性進化獲得」となって
この「場=世界」から卒業するイメージです。

 

現実側に観る様々な「納得がいかない」
「間違っている」「おかしい」等々の世界や、
「あんな物言いしないし」と思う人も、
「なんて自分勝手なんだ」と思う人も
「ちょっと、なんでそんな事する?!」と
「信じられない」ような事をする人等々も、
全部「わたしの中に在る意識」です。
 

あからさまに表現していないだけで、
自分の中にも、損得勘定や、
権力やコントロールで思い通りにしたり、
自分の事しか考えていない瞬間等々、
様々な幼さがあるはずです。

それらを「そうあってはならない」と
抑圧しているだけで、持っているのです。
そうした「抑圧してきたわたし」と出逢う
「最善の學び」が到来しているならば、

「我慢している」「ルールを守っている」
「そうすべきだ」等々のような
「抑圧」のステージに在る今の霊性位置を、
 

抑圧ではなく「そう在りたい」と

心から希求し「そう在れる霊性」の

ステージへと進化することを決定出来る

最善のタイミングが到来していて、

それが、今この瞬間なのだと解します。

 

目の前の「もう一人のわたし」が
とてつもなく「強靭な頑固」に見えたり、
「お手上げな現実」に見えるという事は、
自分自身がそれだけ「強烈な頑固者で

お手上げ状態だ」という事に過ぎません。

「鏡が強烈」ならば、まず最初にやる事は
「鏡の反射を和らげる」=「わたしの強烈で
頑なな観点を解放する」ということです。
そうすると、鏡に映るもう一人のわたしも、
法則上、当然柔和になるのです。

宇宙の法則は無限における唯一の絶対性です。

強烈な頑固の解放は、鏡側への徹底した
「傾聴による理解プロセス」を使います。
例え鏡側が「わたしが悪とする世界」でも
「確かに、その感情に呑まれてしまう事が

あるから、わたしは否定しているのだ」と

「根源的な同一の観点」捉えていきます。

ただ具現化の「表現の選択」が違うだけで
わたし達は「いつも同じ意識に在るのだ」
という観点においてのみ傾聴は成り立ちます。

 

「幻想体験」とは「自他分離体験」です。

 

あらゆるコントラスト物語の体験を

 

「もう十分に体験した」と感じるならば、

具体的な行動グラウンディングを伴う

 

「融合=否定してきた鏡側のわたしを癒す」

 

創造へ向かう事で、その体験を卒業できます。

 

世界の全てが調う 『鏡の法則』を使った

 

融合という名の究極の癒しの創造へ 挑んで―。

 

 

あかん。。

沁みすぎる。。。

 

だけど、大切なのは「沁みる」で終わらせないこと。

ここで學んだことを「行動グラウンディング」していくこと。

イチとの関係性でいうならば、具体的には「傾聴」していくこと。

 

イチ(=否定してきたわたし)との「融合」に踏み出していきます。

 

 

 

 

本日の神寄木ブログの引用元はこちら

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