こんにちは。
子どもたちと全力でツイスターで遊んで肩を痛めてしまったzenです。
さて、昨日「息子たちの喧嘩」の記事を書きましたが、
昨日は「許し」の観点からの体験を書きました。
今日は「現実は鏡」という観点で、
「息子たちの喧嘩」という同じ事象を捉えて書いてみたいと思います。
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どうやら「現実は鏡」らしいです。
朝晩・春夏秋冬・栄枯盛衰・生死などなど…
誰にとっても自明の宇宙のリズム(法則)がありますが、
「現実は鏡」というのはそれと同じレベルの「絶対的宇宙法則」の一つのようです。
自分自身がまだ完全に腑に落とせていないので「現実は鏡です」と断定しきれないのですが、
きっとそうなのだろうという予感はあるので、
宇宙はそういうもんなんだという軽い気持ちでその捉え方に挑戦し続けているところです。
さて、「現実は鏡」という観点で息子たちの喧嘩を観てみたらどうなるか?
「鏡」ということは、そこに「自分の姿」が映っているということなので、
「息子たちの喧嘩」=「自分の姿」(内面に隠しているものも含めたすべての自分)ということになります。
ちょっかいを出し自分に注目を集めようとする長男
被害者意識全開で、100%長男のせいにし、親に助けを乞う次男
力ずくで自分の思い通りに次男を支配しようとする長男
負けを認めず「勝ち」に拘り続け泥沼にハマり続ける次男…
んぐっ…Σ( ̄ロ ̄lll)
これ、全部おれ??
ああもう鏡全部叩き割ろうかな…
辛いなぁ…、「現実は鏡」の法則。ド直球やな。もうちょっとオブラートに包んでくれてもええんちゃう?
まあでもこれまでずっと息子たちの喧嘩をみる度に、
100%長男が悪いと決めつけ、
自分がカッとなって叱責してしまうのは息子たちのせいだと「人のせい」にし、
怒り・大人の力を使って息子たちを「支配」しようとし、
自分の望む子どもたちになるよう「コントロール」しようとしてきたな…。
あーあ。
観たくないものを観てしまったぜ。。
最悪やん、おれ(笑)
息子たちは何年間もずーーーーーーーーっと、身を挺して「鏡」してくれてたんだな。
「早く気づけよ、お前」って。
すみませんでした。
息子たちにずっと、
「お前らはなんでそんなに傲慢なんや!」
「自分勝手すぎる!」
「人のせいにするな!」
「すべて力ずくで自分の思い通りにしようとするな!」
って言い続けてきたけど、
全部「自分自身」に言ってたんだね。
この現実を受け入れていくのは正直辛いものがあるけど、乗り越えていかなきゃいけない。
とってもわかりやすく「鏡」してくれていた息子たちに感謝しつつ、
傲慢でわがままで自分勝手な「自分自身」を行動グラウンディングで乗り越えていきたい。
最後に補足として、神寄木賀集さんのブログの一節を引用させていただきます。
ここで「覚醒的な自分軸」の観点は
『 わたしは全て外側に在る 』
という意識次元がお勧めです。
「内的な世界観の意識」をそのまま鏡し
具現化した世界が「外側の現実の全て」
ということは、
「わたし」という自我を
強く掴むまでもなく、
「わたしはこうだ」と
一生懸命主張するまでもなく、
『 わたしの全ては 目の前に在る 』
『 洗いざらい提示してくれている 』
ということになるのです。
「3次元の意識」から「覚醒的意識」へ
移行する最中にあるわたし達は、
その「鏡」をただ確認して、
「こうですよ」「こうなっていますよ」
「あなたの世界はこんな対立してます」
「こんな喧嘩のように攻撃的です」
「こう支配するエネルギーです」
「今感じるように卑下しています」
「このように価値が低く設定されてます」
「全てを問題視して捉えています」
「価値が低く設定しているので、
わたしは出来る人だと叫んでますよ」
等々「見えるままの世界の中に」
「内的な世界観で使っている周波数」や
「内的な世界観の自分の設定」などの、
あなたが設定している意識状況を知り、
それを「ああ、そうなんだ」と
「わかった。ありがとう」と受けとって
鏡で発見した「歪み」を修正し
行動グラウンディングをします。
外側の他者も世界も「全て自分」です。
あなたは、あなたという他者へ
新しい意識を伝える行動を
根気よく創造する必要があります。
「鏡」を見て自分自身に「気付く」だけでは不十分で、
その気付いた「歪み」を修正していくための「行動」(行動グラウンディング)が必要とのこと。
自分の傲慢さを解消していくために具体的にどうすればいいのかということはまだ見えていないけれど、傲慢さに気付くたびに解消していく方向へ「行動」の舵を取っていきたいと思う。
それがうまくいっているかどうかは、「息子たちの喧嘩」が教えてくれるだろう。
がんばりまーす