さびしすぎて、真剣にナンパをしたことがある、
やざわです(_ _ ”)。。
前回からの続きです。
昔も今も「限界」に挑戦し続けている「人間」ですが、
主に先進国とされている人たちの「豊かな暮らし」に
限界が近づいているというお話をしました。
そして「腕立て伏せ」と「おみこし」を例に挙げて、
個人的に限界を感じることよりも、
団体が限界を感じることのほうが難しい
というお話もしました。
漫画「キンニクマン」に登場するラーメンマンには
腕立ての限界がないことも紹介しました(苦笑)
僕が子供のころから大好きで、たぶん100回くらいは
鑑賞している映画「天空の城 ラピュタ」のなかで、
シータが受け継いだ飛行石の呪文について、
このように言っていました。
「いいまじないに力を与えるには
悪い言葉も知らなければいけないって、
でも決して使うなって。」
この言葉がここ数年、ボクのなかでリンクしてきます。
「良いことをするには、悪いことも知らないといけない」
このように捉えています。
「フェアトレード」「オーガニック」、そして「限界」。
これらを考えるとき、この概念がリンクしてきます。
「死ぬ思いをしたから(限界)、生きる喜びがある」
「戦争(限界)を体感したから、平和を知っている」
「いじめられたから(限界)、強くなる」
オーガニックについては、
「農薬による環境と人体汚染(限界)、
→だからオーガニック(無化学肥料、無農薬、環境も人体も犯さない)」
フェアトレードについては、
「経済的格差からくる貧困による餓死・過酷労働(限界)、
→だから、社会的不平等をなくす公平貿易という仕組み」
限界を知ることで、はじめて本当に大切なものに
気がつくのかも知れません。
限界を知ることで、本当に大切な方向へ進むことが
出来るのかも知れません。
個人的な限界を知ることは比較的に簡単です。
コーラを一気飲みすれば、すぐに限界が理解できます(苦笑)
そういう話ではないですね、失礼しました(_ _ ”)。。
団体の限界を知ることが、破綻的に傾いている「富」を
正しい方向に修正することへの第一歩になると思います。
団体の限界、それは家族であり、学校であり、
会社であるかもしれません。
もっと大きくは町、地域、社会を構成している国ですね。
東日本大震災については、原発の限界であり、
エネルギーの限界であり、持続可能性への限界であり、
日本の限界を知りうる大事件であると考えています。
自分(個人)がコーラの一気飲みの限界を感じるように、
団体(社会)の限界をどのように感じ取っていけばよいか、
そのことが壮大なテーマになると思っています。
次回に続きます。
今日も最後までありがとうございます。
やざわたき
追伸:真剣なナンパは寂しさの限界を超えたとき、
実行可能となります(苦笑)

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