私の青春放浪記 | オーガニックスタジオ新潟社長の奮闘記 │ おーがにっくな家ブログ

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「オーガニックスタジオ新潟」社長のブログ。かっこいいエコハウスを提供するために日夜奮闘中。役立つ「家づくりの知識」は、オーガニックスタジオ新潟のHPにて更新。このブログでは個人的な関心ごとと「工務店経営」についてがテーマ

コロナでは生活変容が1年以上続いています。
多分これから1年も、
程度はゆるくなるかもしれないが、
新しい生活様式は続くでしょう。

そこで飲食店や
サービス業関係者の方々も大変ですが、
個人的に1番気の毒でならないのは
大学生位の若い人間たち。

20歳前後の頃は
とにかくエネルギーに満ち溢れていて、
自分のできる範囲での活動を
思いのままにやることが
人間形成でとても重要。


人間の本質は、
群れで暮らす動物が進化したものだから、
馬鹿みたいにみんなで戯れたり、
遠慮なく生をはじけてなんぼだと思う。


ソーシャルディスタンスなんて、
物理的な距離を取るだけじゃなく同時に、
相手に遠慮して心でも距離ができてしまう。
新たな友人関係を作るとかにしても、
マスクしてれば表情も見えなくなる。

 



海外旅行に気軽に行けない時代になり、
わたしが20代の頃。
バックパッカーで海外放浪していたことと
どうしても対比してしまう。 

特にタイの南の島に

はまっていたころが一番の思い出です。
基本一人旅だが、1人ではない。
出会いと別れが待っている。

世界中の若者と、
バスのターミナルで出会い、一緒に移動し、
ルームをシェアして、
色々と自分たちのことを語り合う。

カナダの林業大学の学生。
彼とは南の島でバンガローを共に借り、
島をあちこち冒険した。

 

(イメージ)

ブラジルからのボヘミアン。
2mちかい巨人で頭はアフロだった。
チェンマイで出会い、数日共に旅をしたが
インドネシアに買い付けに行くということで、
バンコクで別れた。

その後、なぜか原宿で奇跡の対面。
カレーを食べながら、その後の彼の冒険談に
胸をときめかした。

グアム島の地主で、
死に場所を求めて世界中を放浪している青年。

スウェーデンの医療関係者のバケーション。

いろんな人との出会いがある。

アメリカのシカゴで映画の助監督をやった方、ご一行様。

ガイドブックにすら出ていない、アンダマン海の
孤島を目指した。 完全にプリミティブで
ひなびた小屋のような食堂はあれど、
料理はイグアナを煮たものしかなかった。・・・・

あとでハガキが日本に届き
その人がブルースブラザーズの助監督だったというのが

本当だったと知る。



 

一晩中話せるぐらい
思い出がわたしの頭に詰まっている・・・・。

世界一周を1年かけて旅行し終わった
ばかりの日本人と飛行機で席が隣になった。

アメリカで散在し、ロンドンで無一文になり
トラファルガー広場で乞食をしていた。
これではまずいと働き始め、
ようやく帰ってこれたという。

実は 私もその方の武勇伝を聞きながら
自分も似たような境遇であると切り出した。

タイで有り金ぜんぶ使い切っていて、
成田から渋谷まで行く電車賃が無いことを。
その方から お金を借りることとなる・・・・

色々な人と出会い一緒に旅をしてきた。

30年以上も前の話しだから、写真はほとんど残っていない。

モノクロームの思い出だけで 恐縮です。



自分の体験したこと。
感じたこと。

それが若い魂に染み込んで
肥やしとなって人間が育つ。


いくらインターネットが発達しようが、
その場における身体的感覚と、
人間的な交流なくして、
どの程度の成長が望めるのだろうかわからない。

とっとと このくそコロナ。
静まっていただきたい。
なので 皆様 積極的にワクチン打ちましょう。

 

 

 

 

最後に、私が高校生から大学生にかけて

この放浪時代も、

ひたすら聴いていた 大滝詠一のロングバケーションが

発売から40周年になるという。

 

 

江口寿史画伯も 死ぬほど聴いていたというので

記念限定ポスターデザインしていた。

 

今聞いてもぜんぜん色あせない エバーラスティングなアルバム。

住宅のおいても目指すところはこれだな。

 

生き残っているものには 理由があるし、価値がある。