KHギャラリー芦屋 by 安藤忠雄 | オーガニックスタジオ新潟社長の奮闘記 │ おーがにっくな家ブログ

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「オーガニックスタジオ新潟」社長のブログ。かっこいいエコハウスを提供するために日夜奮闘中。役立つ「家づくりの知識」は、オーガニックスタジオ新潟のHPにて更新。このブログでは個人的な関心ごとと「工務店経営」についてがテーマ


世界的な建築家である安藤忠雄氏は、大阪が出生の地。
関西で多くの作品を残している。

公共建築や商業店舗が多いのであるが、
美意識の高いセレブにもファンが多く、住宅設計を頼む方もいる。

そういった個人の邸宅の中でも、
初期の最高傑作とされているのが、
コシノ ヒロコさんの旧自宅です。

コシノヒロコ様は、82歳とご高齢であるが、近ごろ、日経新聞の
「私の履歴書」にも連載されていて、いたって元気なようです。

海外のファッション界に、アートを武器に挑戦する決意を決め、
そのために、自然豊かな芦屋の郊外の中に身を置いて、
インスピレーションを解き放ちたいと考えた。

依頼したのが、当時まだまだ、無名に近かった安藤忠雄。
出世作の「住吉の長屋」からわずか5年後の、1981年に完成した。

山深い別荘地のようなこの地は、
RC造にシングルガラスの、
ほぼ無断熱のこの建物で、冬を暮らすのはかなり過酷で、
自身のデザインしたスキーウェアで室内を過ごしていたという。
30年ほど暮らし、子供も巣立ったことで、
現在では都内の高級マンションに住まわれているようだ。

再び安藤に設計を依頼し、自身のアート作品を展示する
ギャラリーへとリメイクされ、2013年より一般公開されている。

 



さすが世界の安藤の個人邸の名作。築後に長い時間を経ても、
シンプルで基本計画がしっかりしているために、
全く古びれてることがなく、荘厳。

 

いっしょに訪ねた飯塚さんがFBにて、

紹介している言葉を転載しておきます。

 

主旋律は鈴木恂先生の5m角断面の空間なんですが、

様々な操作で流動的な空間に変えています。

この建築は建った時から「住宅」としては落第だけど、

「建築」としては素晴らしいというものだったと思いますが、

住宅という機能が消えた現在、どう見えるかは

人によって捉え方が変わってくるように思います。

そういう意味でも必見です。
メンテナンスもされているのでしょうが、屋上が汚くなって、

サッシの塗装がチョーキングしてる以外は、

あまり古びた感じもありませんでした。

というか43年前の建築だけど、デザインが古びた感じが全くありませんでした。

 


住まう上では大変であったろうが、
空間の緊張感・光の入り方の美しさなどが、
美術館・ギャラリー建築としては、うってつけの建築です。


平面計画は極めてシンプル。
道路からの高低差を利用し、リビングは空間の高みを維持しつつ、
道路からは建築は埋設され、芦屋の景観を損ない配慮がされている。
「地中美術館」にも通じる思想が、早くも体現しています。

 

 

 



玄関入り口から、すぐ脇からは、様々な光が美しい、
深遠な「抜け」が拝める。 


かっこいい抽象的な和室が上段で、
ローマの街の階段のような階段を下るにつれ天井は高まり、
巨大な開口で外の森のような風景を取り込んでいる。


コシノヒロコさんのアートが飾られ、
もちろんギャラリーなので販売もされている。




住宅としてではなく、
もともとギャラリーのために設計されたようにすら感じます。

それくらい 違和感ない。



 

訪問した際は、外気温は28℃程度で、しけっぽい天候。
リビングルームに関しては、1番奥の壁の下に、
送風ガラリがあり、冷暖房の空調が吹き上られる仕組みになっていた。


相当な風量が必要なようで、
たいした冷房負荷が必要でないこの時期でも、
かなりハウリングが生じるほどの風を必要としていた。

冬になるとRC作りだし、ガラスはシングルサッシなので、
暖房についてはほぼあきらめている感じがある。
スキーウエアを着ていたというのも頷けます。



天野尚が水草水槽で成功したが、
写真家としての評価を、本来はされたかったのではないかと感じますが、

 

画家を志していたコシノヒロコさんも、
ファッションで大成功しましたが、画家としてもっと評価してほしいのであろう。


私は絵の目利きではないけれど、この美しいRC建築に、
ぴったりくる絵であることはまちがいないと感じました。



ネット情報では 予約をすれば 無料で見学可能とあります。
私と飯塚さんは 予約なしで訪れてしまいましたが、

素晴らしい名建築とアートを無料で見ることができたことへ感謝です。
ありがとうございました。