こんにちは、結喜です。
 
 
過去の私は
 
お金を稼ぐ仕事をしていないと
価値がない
 
と思っていた時期もあって
 
 
家事をしているだけの私は
お金を生み出さない
=何も価値がない
 
と、感じていました。
 
 
だから夫に対して
こんなにやっているんだから
認めてよ!
という言動をぶつけていたし
 
 
認めてくれないなら
家事なんてやらない!という
ゼロか100かの思考で
 
 
パートでしか稼げない私は
夫に負けてる
といった勝ち負け思考でした。
 
 




 
こんなにやってるんだから
認めてよ!っていうのは
 
 
おそらく
13歳離れた妹が生まれたときに
遡ります。
 
 
当時中学生で
家が居酒屋(焼き鳥屋)
だった我が家は
 
夕方から夜にかけて
両親がほぼ不在。
 
 
自宅とお店は繋がっているから
母は時々様子を見に来て
くれるけれど
 
 
妹のお世話を任され
(2歳下の妹も頑張っていたけど)
 
お風呂に入れたり
泣いてるのをなだめたり
遊び相手になる。
 
 
なのに(私の記憶では)
感謝されるわけでもなく
『家族なんだから当然』
みたいな雰囲気があって
 
 
長女である私は
お母さんの役に立たねば、と
頑張り続ける。←長女あるある
 
 
こんなにやってるのに!
こんなに頑張ってるのに!
私の時間を割いてやってるのに!
誰も認めてくれない。
 
 
そんな思いと
夫に「認めてよ!」と
言いたくなる気持ちが
重なって
 
 
ここから来てる感情かな
と思ったのです。
 
 
で、
 
自分の価値って
役に立つことでも
人から認められること
でもなくて
 
 
頑張らなくても
 
 
お金を稼ぐ仕事を
しなくても
 
 
(よく言われている)
そこに存在している
という事が価値なわけで
 
 
妹が生まれた時
自分の子供が生まれた時
 
 
見てるだけで癒されるハート
 
 
本来、そういう存在ですよね。
 
 
人はみんなそうだ、と
分かっているんだけど…
 
 
と思っているうちは
分かってなかった。
 
 
少しずつ時間を掛けて
自分のことと向き合ったり
 
母に話を聞いたり
夫にどう思っているのか
聞いたりして
 
 
私は存在しているだけで
価値のある人間なんだ
 
 
と、インストール出来た時に
 
 
ダブルワークの仕事を辞めて
パートの時間を減らし
家事も “私がやらなければ!”
という思いが減りました。


 
夫が帰宅した時に
私が横になってゴロゴロ
しているのはあり得ないこと
でしたが
 
 
堂々と出来るように
なっているし
子供たちとふざけながら
騒ぐこともある。
 

それに対して
夫からは何も言われないし


むしろ
私が家の事をやって
子供たちの面倒を見る事で
夫は心置きなく仕事ができる
と言ってもらえる。
 

妻だから、母だから、
という思考も手放しています。
 
 
そうすると
夫が同じようなことをしても
子供が騒がしくても
前ほどイライラしなくなって
 
 
パートの時間は減らしたのに
なぜか時給は上がっている
という現象が起きていますびっくり
 
 
 
 
 
 
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