片付けをしながら物と自分と向き合って、少しずつ手放してきた事の1つ
◯◯でなければ、という思い込み。
私がやらなければ。
この場所にはコレを置かなければ。
捨てる物を見つけなければ。
たくさん捨てなければ。
…それは誰かに言われたの?
私が全部やらなくてもいいし
物を置く場所が誰かに決めらているわけでもない。
捨てる事ばかりにフォーカスするのではなく
気に入っているもの、残したいものを選んでいく方が、心が喜ぶ。
自分がどんな風に暮らしたいのか
家の中がどうなったら嬉しいのか
どこに置いたら生活しやすいのか
自分の基準で決めて良くて
決まった事をやらされてる訳じゃない。
こうしたい
これがいい
という思いで行動すると
すんなり動ける。
たくさんの物で散らかった家は嫌だから
きれいにしたい。
物が多くてイライラするのは嫌だから
私はこの生活を変えたい!
片付いた先の景色が見たい
と心底思ったから
片付けを学んで変わろう、と決めた。
これが、
きれいにしなくちゃ!
生活を変えなきゃ!
変わらなくちゃ!
という思いで始めると、すごく苦しい。
ただ発信するとなった場合、途端に
◯◯でなければ
が発動する。
ちゃんと書かなければ。
伝わるように内容をまとめなければ。
片付けの役立つ情報を入れないと。
そんなことを考えているうちに、どんどん日が過ぎて行く。
"ちゃんと"って、どういう事よ?
まとめようとするのは誰のため?
誰にとっての役立ち情報?
それは誰かに言われたの?(2回目)
自分が気にしているだけで、周りからどう見られるかに囚われ、完全に自分軸を見失っている。
役立つ情報なんてSNSを見ればそこらじゅうに転がってるし、知りたい事があれば調べたら大抵のことは分かる。
私が伝えたいのは
片付けを通して何を感じ、何が変わったのか。
自分にしか分からない内側の変化。
要するに、心の動きを伝えられるように表現していきたいのだ。
やらなければ、ではなく
やりたい、を集めていこう。