ある衝動のもと、突発的に漬けられた梅酒が、時間軸に左右されず生成された。スピリタスで飾られた土星のような軽い梅星が、金星のように比重を上げ、アルコールの池に沈みこむ。

それが出来たという合図なのか、完成された所作なのか、私には理解できない。ただ三ヶ月、面を合わせるかのように、一日も差をおかず最後の一個が沈み込んだのだ。

そもそも完成されたなどとはおこがましい、人の驕りに過ぎないのかもしれない。人は何かを造りだす過程の最終章で、完成されたという表現を使う。美しい風景や脅威的な自然、天才的な芸術や、愚才な建物、その他もろもろ一切合切に対して、その制作者の無為や有為に関係なく、完成されたものと捉える。

レオナルドがモナリザに後何回筆を付け加えようが、黄金率に彩られた、平衡感覚が旺盛な自然が、その外殻に意図しない誘惑を奏でようが、関係なく、完成されたものとして捉えるのだ。

ゆえに私はこの梅酒を、観念的には完成されたものとして愛でていきたいと思う。そして、この不文律的な観念の萌芽を、梅酒とともに放置していきたい。そこには物質的なものと精神的なものとの協和音が聞こえてくる
。是非に及ばず!と言ったところか