私は自然が幸福でも不幸でもないように、幸福でも不幸でもない。快活でも憂鬱でもない。振る舞いが自然ならば、その密度は偏らない。
私は極自然に日本酒を造ることになる。
高校二年の頃である。

逆の時間ベクトルで生成の過程と、酔いの源流を配列してみる。

飲み始めて五日目、まず酸が強い、アルコール度数も上がってるようだ。流石に友達も辟易していた。私だけが愛おしむ。

三日目、ジャスト! これぞ我が炎、我が魂、我が隠し子。非凡な作品と平凡な日々の狭間が心地いい。甘味と程よい酸味。バランスなのか、その奥にあるスタンスなのか、スタイルは淑女的なのに、タイトルは中性的な黄色のリボンをつけた少年だ。なにが友達だという類いの人にもやや評判だった。

このさもしい経験は後に、大輪の花を咲かす。銀座で、手作りのどぶろくとして提供していたのだから。しかしその考えがなおの事さもしいものだが。

飲み始め。期待と不安と追跡と忌々しさと陰気な愛撫。創造主の苦悩と歓喜。まだわざとらしい旨味に焦点を絞れない。舞い上がる泡が愛しい。隠し子の生き様は巻雲のようだ。(続く)