時を味方に持つことが可能ならば、心を平静に保つこともまた可能なのではないか。平静な心の装いは、時を引き付ける。

解決の請求を余儀なくされると、人は焦り平静ではいられなくなる。時すら足りないと感じてしまう。その不足分を補うことは意思の決定力なのだが、それには平静な心が不可欠なのだ。ここに精神の尊さが潜む。瀞瀧(せいろう)将棋の羽生さんが好きな言葉だが漢字は不確か(笑)

「瀞瀧」 この漢字をよく見ると確かではないかという気がしてくる。水の中で龍が静かに彷徨する姿。

雲が雨を作り、雨が雲を作るように、環境は人を作り、人は環境を作る。
単純な真理は美しいが、この弁証法的に統一された事実に、世のいわゆる宿命の真の意味があるとすれば、時を味方に持つ人は可能な限り幸いである。

日本酒の持つ主調低音を聞くと、私の眩暈の騒然たる夢は去り、瀞瀧たる血の調べを擁して、その漠然とした形而上的断片を、不思議な角度から産み落とす。断片はもはや断片ではなくなり、拡大され縮小され、夢の中を彷徨する平静な一人となる。