想像し創造することで、人は思椎の延長線上に花を咲かせる。

最近想像した花というのが、笑えるものなので、笑わないで聞いてもらいたい。異議も同意も木々の成長の肥やしにはなるであろうが。

洞穴で圧倒的に生活を送る、一群れの悠久の先祖群は、何世代も、陽が射し、あるいは暮れる、永遠を意識させる斜陽の中で、一動物として、しかも多くの時間は、かなり弱い動物として行動したであろう。

このきわめて安直な前提条件であり、想像の花の蕾の部分的下腹部は、人類の起源とか、原始人類とか、その他あらゆる人類学者の書物の贓物ではあるが、蕾とはそもそもそんな感じであり、どんな花か薫なのかは、想像にお任せするという、一切合切は、墓地荒らしの考古学者と、犬のように骨をくわえる人類学者の
嗜好性の考察的合切であろう(笑)。

弱い動物としての私自身が想像する、私自身の先祖の弱い動物は、常日頃強い動物の餌食になっていた。生き残りは今生きている皆さんという事になる。とすると皆さんの先祖たちも常に、洞穴においてさえ安全を確保することは出来なかったであろう。

近くに強大な肉食系動物の陰に怯える毎日。生き残る為の移動と、弱い動物どうしの食べる為の戦い。人は人を食べて生きながらえた飢えの歴史。記述に堪えられない、記述できうる以前の長い間、私たちの先祖は怯えていた。(続く)