ひと昔前より、極端に、あらゆる方向性の酒が高級ぶって、振る舞っている。そして明確に旨いものが混在している。

逆に、マクロ的にはインフレの現在において、デフレ的な酒の存在も際立っている。

何を意味しているかは明朗なのだが、意味の中に嫌味と苦味が感じられ、香さえ放す。

選択は個人の最良の自由だが、この経済的二極間の、デカルト座標軸の上下による、選択の所作は、刑罰を楽しむ自由でもある。

自由は束縛の中でこそ、輝きを増すのか。束縛は痛みと萎縮が強いほど、自由という暗闇の中で迷子になるのか。真は美の母であるはずはない。人間は自由という刑に処せられている。

刑の執行人は資本という神の名のもと、夜だけ微笑む。だからといって、太陽さえ私達の味方ではないのだ。